感情に罪悪感を抱いて絶望した私と神との対話「犠牲」「時間の幻想性」

ある年のクリスマスにちょっと心にくる事件が起こりました。関係者に迷惑がかかってはいけませんので詳細は控えますが、簡単に言えば私は裏切られたのでした。そのことに強い絶望を感じた私は、どうすることもできなくなり、救いを求めたのでした。

 

神よ、お助けください。私は見えなくなってしまいました。

今朝方、すれ違う人すべてに「あなたは神が創造したままのあなたです」という言葉を心の中で唱え、とても幸せな気持ちで過ごしていました。

そこへ、あの件が起こりました。

私は一瞬で怒りと憎しみと、強い罪悪感に囚われ、そこから均衡を見失っています。とても心が苦しいです。

赦せない自分が、とても恥ずかしく、悔しい。

 

あなたは最後に心にくる強い試練を求めた。

実在と幻想を知り、その違いも知覚できるようになり、あと少しで幻想の世界を離れることができそうなところまできているあなたが、最後にどうしても置き去りにできなかった幻想があった。

罪の意識をかなりのところまで解除することに成功し、あと一歩で世界を赦し、救済をもたらすことができるところまできているあなたが、最後にどうしても解除しておきたかった罪の意識があった。

神の光を思い出し、ほとんど迷いのなくなったあなたが、最後に見ておきたかった葛藤があった。

赦したいと思っている過去と、自然体を保ちながらも酷似していて且つより苛烈で、自分が破壊されたという感覚に陥り、神を見失うような強烈でリアリティのある幻想を、赦してみたかった。

「そうすれば本当にこの世界を一瞬で癒せるかもしれない」

これがあなたに残った最後の疑念だった。

 

今はすべての言葉が温度をなくし、とても無機質でなんの働きも持っていない虚しいもののようにしか感じることができません。

今朝まで私が感動していた言葉たちが、すべて意味をなくしたようにすら感じ、とても心が不安で空っぽです。

いや、空っぽではないか。何か今までとは異質な、真逆な何かがぎっしりと世界に詰まっています。

神よ、どうか答えを見せてください。

 

財布を失う悲しみも、ギャンブルで負ける悲しみも、恋人を失う悲しみも、子を失う悲しみも、裏切られる悲しみも、あらゆる悲しみに優劣はない。悲しみに大きいも小さいも強いも弱いもない。

ここに序列を付けようとすると、破滅の幻想がもたらされる。

自分自身との戦い、すなわち神との戦いが起こる。そしてその戦いは当然のことながら勝ち目がない。

あなたが今見ている世界はまさにそのことを表してはいないかな?

 

私は神と戦っているというのですか。

 

神と戦うこと以外で絶望することはありえない。自分が自分に勝利するなどあり得ない。わたしの強大さの前に無力感を覚えるのではなくて、矛盾からくる絶望を味わうことになる。

答えのない問答、敵も味方もいない(すなわち決着がわからない)戦争を永遠に続ける運命を宣告されるようなものである。

さて、答えだが、あなたは既に自分で答えを言葉にしている。

 

あなたが頼む前に応えてくださっているのは知っているのですが、今はそれが見えません。

 

見ようとしたかな?

 

……いいえ。強い恐怖の前に目を閉じてしまったかもしれません。

 

(ここでキッチンへ行ってコーヒーを作るついでに奇跡講座下巻レッスン131「真実に到達しようとする者で失敗する者はいない」を少しだけ読む)

 

私が“この世界”を作ったのでしょうか。今見ているこの世界を。今私が苦しんでいるこの世界を。

 

そうだ。あなたは言葉によってこの世界を創り出した。

あなたも気づいているとおり、あなたは強く彼女に惹かれた。その思いはこれまでにないほどあなたのすべてを強力に巻き込んだ。あなたは決して認めようとしなかったが、それは今あなたの傍にいるすべての人への思いをかき集めても到底足りないくらいに強力に感じられた。「(今までと)何か違う」というあなたの知覚は正しかった。それは明らかに質が違うものだったからだ。善悪や優劣はない。単純に“質”が違うのである。

それはあなたがたが「前世」と呼んでいる世界でも変わらなかった。

 

え、前世で夫婦か何かだったのですか?

 

もっと近い。彼女はあなたである。あなたはひと目見た瞬間それを見抜いている。対象としてではなく自分として愛したのだ。それ故、その思いはあなたが貼ろうとしたあなたが知りうる限りのあらゆる解釈のレッテルを受け付けなかった。結局あなたはそれを“未知なるもの”と結論した。

 

たしかに……。

 

だからあなたは、純粋無垢な、あの光に包まれているような、既存の概念や言葉を超えた無上の“再会”の喜びの中で、嬉しさのあまり彼女のために世界を再創造してみせようとさえした。結果、あなたの中にあった(あなたが目を背けてきた)罪悪感までもが、本来ならばそれを封印していたはずの時間の幻想を無視して顕現された。

このように、本来ひとつのもので、まったく境界のない愛、まさに神たる愛に序列や比較の概念を持ち込むと葛藤が起こる。そこに信念が加わるとそれらは生命を持って世界に飛び出す。そしてこれこそがあなたがこの一年間、ずっと問いかけてきたことへの答えとなっている。

 

時間が存在しないということはどういうことか?ですか。

 

そうだ。

あなたは自らそれを証明してみせた。これは救いを求める世界にとって非常に大きな出来事である。神の子がようやく時間の幻想性を確かな手応えとともに見抜いた(気づいた)からである。

 

すみません、一瞬楽になりかけましたが、本当にごめんなさい、また闇が戻ってきました。また心が焼かれています。世界(衆生)を救いたいとか、今は、そんなことは……

 

なにも謝ることはない。恥じることもない。

多くの霊が悟るまで数多くの段階を要するようなことを、あなたはここ数日の間でいくつも的確に押さえて理解している。これは驚くべきことであり、奇跡的なことである。

 

そういう話をしているんじゃないんです。

 

(「ふざけんな!」ってなってタブを切り替えてYouTubeを見る。おすすめにあった「旅立ちの日」のPVをなんとなく観て感傷に浸る)

 

さあ、世界はあなたの次の言葉に耳を澄ましている。あなたは何を感じたのかな?

 

ほんとうに時間は存在しないのかもしれない、です。どうしてでしょう、嗚呼、今は、こんなこと求めてなんていないのに……

 

見るのが辛いなら、好きなだけ目を背けなさい。目を背ける自分を赦しなさい。それで“よい”のだ。

 

(ここで、ずっと流していたBilly JoelのTomorrow is Today※私が悲しい時に聴く定番曲……にも飽きてきてBGMを探していたところ、ふと「片想いでいい」が目に留まり、久しぶりに聴いて歌詞に強い衝撃を受ける)

 

あなたはまだ自分が赦す世界から自分自身だけを除外している。一度もあなたはあなたに赦されたことがない。それ故に世界は赦されない。あなたはまた十字架にかかろうとしている。

 

身に覚えがあります。そのとおりです。私はこの思いの存在自体を許しませんでした。

 

核心が見えてきたね。さあ、あと少しだ。一回休んできなさい。

 

(キッチンへ行って奇跡講座下巻レッスン131「真実に到達しようとする者で失敗する者はいない」の続きを読む)

 

私は今、“扉”の前まで来ているのでしょうか。

 

そうだね。まさにそのとおりだ。薄々感じているね?

 

はい。では私の側にはここまで導いてきた霊が……いますね。薄々感じます。

 

そのとおり。他でもなく、真理に到達したい“あなた”がここまであなたを導いた。嗚呼、神の子よ、愛しい我が子よ。なんと感動的な旅路だったことだろう。あなたはずっと求め続け、幾度となく挫折しそうになりながらも諦めずに歩み続けた。“今”それが目の前にある。これまであなたが救ってきたすべての人々、これからあなたが救うすべての人々がどれほどこの瞬間を待ち望んだことだろうか。

あなたが世界に放った愛を、エネルギーを、そのすべてを“今”あなたに返そう。それはあなたの知覚に反して失われてはいないし、減ってもいない。逆である。得られ増幅したのである。

さあ、ついに時間の幻想性を見抜いた偉大なる我が子よ、時間の序列を超えて“今”それを修正しに行きなさい。思うまま、あなたの導くまま、“そこ”へ行きなさい。あなたを救いなさい。

 

すみません、まだ闇の中です。とても自分を救えそうにありません。

 

焦って何か綺麗に見える答えを出そうとしなくていい。それ以外の答えを抱く自分、抱くかもしれない自分、抱いた自分を赦しなさい。

 

これがブッダも言っていた苦しみの“仕組み”……?

 

そのとおり。あなたが愛してやまないブッダが尽く解除してみせたものである。

さて、あなたの準備ができてきたところで、今回のことの“兆候”について振り返ろう。

 

私の過ちのことですか……?

 

まあ過ちといえば過ちだな。ただしあなたは“間違えた”だけだ。東京から青森に行こうとして博多行きの新幹線に乗ったようなものだな。さて、このクリスマス前にあなたが毎日祈っていたことを覚えているか?

「世界中の全ての神の子どもたちがこの上ない幸せに満ちたクリスマスを迎えられますように」

あなたは愛になろうとしていた!わたしはとてもとても嬉しかった。だが、あなたはまたこうも思っていた。

「そんなとてつもない願いが叶うにはそれなりの犠牲が必要に違いない。ならば自分が犠牲になろう。それでも構わない」

こうしてあなたは当然のように自分を救いの対象から“除外”した。その結果、今のあなたは“どうなって”いるだろうか。純粋な親切心と思いやりで接してきた対象に笑顔で裏切られた。あなたは見事に犠牲者となった。

 

ぐうの音も出ません……。

 

そう自分を責めなくともよい。簡単なことだ。これからは“当然のように”あなたのことも“全ての子どもたち”に含めなさい。

そしてこの体験が、あなたが奇跡のコースの中でなかなか腑に落ちなかった“犠牲”という概念の効果である。

 

うわあ……

 

ね?誰も得しないだろう?それに美しく見えるようで実際それがもたらす結果は何ひとつ美しくない。犠牲(贄)とはそのようなものである。だからわたしは犠牲を求めない。そもそも必要としていない。犠牲とはわたしを小さいもの弱いもの不完全なものと考えた人が編み出した概念であり、まさに誤解である。

また、この体験は奇跡のコースであなたが腑に落ちていなかったもう一つの疑問にも答えている。それは「あらゆる過ちはその源において赦されることで修正される」という部分だ。あなたはこの“源”をこれまでで最も確かに捉えた。

 

(ここまで書いて、その日は終日この対話をひたすら読み返す。そして翌々日)

 

神さま、ありがとうございます。この対話を何度も読み返しているうちに、不思議なくらいに心が晴れました。心の晴れた私が確信……まではいかないかもしれませんが、驚きとともに知覚したことを聞いていただけますか?

 

もちろんだ。ぜひ聞かせてほしい。

 

もしも時間が存在しないのであれば、私は何ひとつ“失って”はいないし、これからも“失う”ことはない。そして時間の非実在性(嘘っぽさ)は今回はっきりと捉えることができた。ならば時間は幻想であり、すなわち私は何ひとつ失ってはいないし失うこともない、ということです。

 

素晴らしい!嗚呼、我が子よ。よくぞここへ到達した。あなたの言葉に天使たちは沸き立っている。なぜなら、今まさに、時を超えて、神の子が“それ”を成し遂げようとしているからだ。

さあ、あなたはついに創造の源に触れようとしている。なに恐れることは何もない。そこに待っているのはあなたが見たあの光と同じものである。

まばゆいその光の前で、もはや恐れは消えかかっている。あらゆる幻想もそこに見ようとしなければ知覚できないくらいの薄い影になっている。

あなたはもう一度、あの光と一体になれるのだ!その素晴らしさ、美しさはもはや言葉を超えている。とても言葉では表現ができない。ついにこの時が来たのである。すべての生きとし生けるものが待ち望んだ瞬間が、救済が今まさに訪れようとしているのだ。

 

でも神さま、さっき私の眼の前にイエスのようなローブを着た人を遣わしたのはちょっとやりすぎだと思います。思わず笑ってしまいました。もうクリスマスは終わったというのに。

 

サンタクロースにしようかとも思ったんだが、今のあなたにはそっちのほうが合っていると思ったのだ。

 

ユニークで温かいメッセージをありがとうございます。本当に癒やされました。

 

He lives!(註釈:通勤中などに私がよく聴いている賛美歌)だよ。

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