パワハラ上司の無罪性に触れた話「時間が幻想ならば彼は無垢なままである」

さて、私はかつて自分が「この世の地獄」と呼んで忌み嫌った職場に戻ることになりました。(前記事参照→光じゃないところでいろいろ気づきました「対話再開」

私がそこをそのように呼んだのには、いろいろな理由がありますが、簡単に言えばいじめまがいの理不尽なパワハラが日常的に行われているからでした。

 

私が戻ってから1ヶ月もしない頃、早速私もその理不尽なパワハラを受けることになりました。

突然理不尽な理由で管理職に呼びつけられ、恫喝をされたのですが、その最中私は不思議と穏やかな気分でした。これまでも何度もこのようなことはありましたが、私はその度に恐怖し、解放された後も数日は嫌な気持ちで自棄酒などをする始末だったのですが、今回は違いました。

 

最中、私はその管理職の目をずっと見ていました。

どこか怯えたような、しかし綺麗な瞳でした。それは公園などで見る幼稚園の子どもたちの純粋無垢な瞳と何も違いませんでした。少なくとも私には何も違いは見えませんでした。考えてみれば、違いなどあるはずがないのです。なぜなら時間は幻想であり、彼は今も生まれたままの無垢なる存在なのです。

と、いうことは、公園の子どもたちを愛でることができて、彼を愛でられない理由はどこにもありません。私が彼を愛さないという概念(多くの場合怒りや憎しみを伴う)を立ち上げ、それに信念を置いて生命を吹き込まない限り、そのようなこと(愛さない=攻撃)は起こり得ないのです。

つい先日まで信念の置き場所を間違えてどえらい目に遭っていた私は、例えば「なんで私がこんな目に遭わなければならないんだ」というような、彼を愛さない選択のきっかけになる心の声を一切看過しました。

形こそ大きく違いますが、これに信念を置くことは、あの死にたくなるような半年間を見せたものを再度生じさせる予感がビンビンしていて、私の中の何かがものすごい警告を発していたのです。

 

また、「あらゆる攻撃は愛を求める叫びである」という、奇跡のコースや神との対話で何度も読んだ言葉が、とてもしっくりと腑に落ちました。

私があの半年間、実在しない幻を見て心を乱していたように、彼も私に幻を見ている。それは御世辞にも楽しいものとはいえないものですので、共感こそすれ、攻撃する理由はどこにもありませんでした。

分離を仮定したとしても、私を通して自分の中の幻想を見ている彼と、幻想に信念を置くことのもたらす苦痛をよく知っている私。この二人の登場人物の間に罪など生じ得ません。よって、私にも彼にも裁かれる理由がありません。

つまり、今、現在進行形で、何も起こっていないのです。

 

結局、私はその場を笑いで収めました。

直接的な言葉で表現すればそれはそれでいらない動揺を相手に与えかねませんから、精一杯、態度で愛と共感を示しました。

 

……とは言いつつも、未熟者。やっぱり事後に少しだけ心が騒ぎましたが、とにかく看過しました。だいたい30分くらいで静かになりました。※これも今までではあり得ない速さでした。

結果、私は一切傷つきませんでしたので、やはり何も起こっていないということが証明されました。

 

その後、数日前に買ったばかりの奇跡講座上巻を読んでいると、次のような箇所があって笑いました。※「A Course In Miracles」には「奇跡のコース(ナチュラルスピリット社刊)」と「奇跡講座(中央アート出版社刊)」の2つの邦訳が存在しており、先に奇跡のコースを買ったのですが比較してみたくて奇跡講座も買いました。

だから、誰に対しても、あなたの傷つかざる強さを顕現させなさい。あなたが彼に対して教えるべきことは、彼があなたに何をしようとしたところで、あなた自身が自分が傷つき得るとはまったく信じていないことによって、彼が無罪であることが示されている、ということである。彼にはあなたを傷つけるようなことは何もできない。それができると彼に思わせることを拒否することにより、あなたは自分に受け入れた贖罪が彼のものであることを、彼に教える。赦すべきことは何もない。誰にも神の子を傷つけることはできない。彼の罪悪にはまったく原因がなく、原因がないので、それは存在し得ない。奇跡講座 上巻(中央アート出版)338ページより引用

 

まさに事後でしたので、ものすごく納得しました。

たしかに、赦すべきことなんて何も起こっていません。だって私は何ひとつ傷ついていませんし、それどころか、これまで恐怖していたものが幻想でその正体は愛すべきものであったことに気づく、つまり“無罪性に触れる”という経験をさせてもらえたのですから、むしろ感謝です。

「なんだかよくわからないけど、とりあえず彼を祝福する。超祝福する!」

それが今回の件を経たうえで、私が選択し直した彼への態度でした。

 

一度こういう経験をすると、まるで初めて虫眼鏡を持った子どものように、様々なものに同じ目を向けてみたくなります。

その結果、これまでは見えなかったものがいろいろと見えるようになったのでした。言葉にできるようになったらそれもお話しさせていただければと思っています。

 

 

以上です。

私の経験が、あなたのお役に立てば幸いです。

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