贖罪がよく理解できていなかった私と神との対話「そのようにすべての人を」

退屈していたので、何の気なしに神さまに話しかけました。雑談のつもりだったのですが、いつの間にかまったく違うものになっていました。神さまとの雑談(ほんとうにくだらない話とかしてみたいんですけどね^^;)は、また今度になりそうです。

 

神さま、雑談に付き合っていただけますか?

 

もちろんだよ。わたしもちょうど退屈していたところだ(笑)

 

そのジョーク、すごくうれしいです。

不思議なものです。私は長年(2012年から)、ブログを使ってお金を稼いで、自由を得ることばかりを考えていました。ブログで稼ぐには、それなりに文字数のある記事を毎日更新して、ブログの管理画面に常に下書きが溢れているような状態でいなければいけないのですが、いつも自信がなかったり、他のことに悩んでいたりして手につかず、どうしてもそれができずに時間ばかりが経過していくのを見て、焦りを感じていました。

それが今、ほぼ毎日、こうして何も考えないですらすらとそれなりの文字数のある記事を“気づいたら”書いているのですから。下書きも公開が追いつかないくらいありますし、不思議です。「書いている」というか「記録(書記官みたいに)している」という感覚ですが。

 

(今はもうわかっていると思うが)あなたがずっとそれができなかったのは、あなたがあなたから目を背けていたからだ。“自分”という、世界で最も重要な関心事から目を背けたままでは、あらゆる目標は立っては崩れ立っては崩れする脆いものとなる。あなたは今、本当にやりたいことをしている。

 

そう感じます。神さまとこうして対話させてもらえるようになり、それを記録して発信しようと思ったとき、それに必要なウェブの知識が十分すぎるくらい揃っていたのは、今考えたら幸運なことです。もしかしてこのための準備だった?(笑)

 

そのとおり。あなたはこのために完璧に準備をしてきたし、今もこれからのことの準備を完璧にしている。その姿は驚きに値する。

 

完璧に準備をしている、か。なんだかぞぞっとしますね(笑)えーこれから何が起こるんだろう。……あ、聞いてませんよ!言わないでくださいね!!

 

あなたらしいね。もちろんだよ。

 

私自身に完璧に準備をしている感覚はないのですが、完璧に仕組まれている感(結末を完璧に把握している何かに導かれている感)はすごくあります。

今日だって、少し嫌な気分になる人に会ってしまい、久しぶりに価値判断を言葉にしてしまいました。でも、今までならそういうのって無限増殖するものだったのですが、なんかつまらなくなって一回でやめてしまいました。(あと神さまが「今の段階のあなたはこれまで以上に言葉に気をつけなさい」と言ってくださったのを感じましたし)すると、間もなくして夢の性質に気づきました「だから私はそこに愛を置く」の記事に書いたようなことに「どーん!」と気づくことができました。

あと、さっきのことです。休憩しようとキッチンへ行ったら、いつもそこに置いてあるはずの「奇跡のコース」(2日前に奇跡講座下巻を読み終えて戻りました)が見当たらず、手持ち無沙汰なので書斎に戻って、1回読んだきり2回目の途中で放置していた「イエスとブッダが共に生きた生涯(ゲイリーレナード)」を持って来て、前回栞を挟んでおいたところ(88ページ)から読み始めました。すると、ばっちり書いてありました。(もうこういうのでは驚かなくなりました笑)

シャオリー マスター、なぜ幻想は真実でないのに、現実(リアル)に見えるのですか?

老子 確かに現実(リアル)に見えるが、夜、見ている夢も同じだろう。現実に見えるからといって、それがほんとうに現実かい? 違うね。幻想を現実にしているのは、幻想に対するきみの忠誠心だ。エゴの策略に対するきみの揺るぎない信念だ。それが偽りの人生を生んでいる。(イエスとブッダが共に生きた生涯(ゲイリーレナード)88ページより引用)

 

次に、なんとなく、すっ飛ばして250ページを開けたのですが、そこにもありました。

 兄弟が狂気の振舞いをするとき、あなたは彼のなかの正気を知覚することでのみ、彼を癒せる。あなたが彼の誤りを知覚し、それを受け入れるなら、あなたはあなた自身の誤りを受け入れている。あなた自身の誤りを聖霊(ホーリースピリット)に差し出したいのなら、あなたは兄弟の誤りについてもそうしなければならない。この方法ですべての誤りに対処しない限り、あなたはどのようにすべての誤りが取り消されるかを理解できない。これは、あなたが自分が教えることを学ぶというのと、どう違うというのだろうか。あなたの兄弟はあなたと同じように正しい。彼が間違っていると思うなら、あなたはあなた自身に有罪判決をしている。
あなたは自分自身さえ訂正することができない。そんなあなたが他者を訂正できるのだろうか。しかし、あなたは自分自身を真に見ることができるので、他者のことも真に見ることができる。兄弟を変えることはあなたに任されていない。あなたに任されているのは、彼をありのままに受け入れることである。彼の誤りは彼のなかの真実から生じるのではない。この真実だけがあなたのものである。彼の誤りがこれを変えることはできない。そして、あなたのなかの真実にいかなる影響を与えることもできない。誰かのなかに誤りを知覚し、それが実在しているかのように反応するのは、それをあなたにとって実在させることである。あなたはその代価を払うことから逃れられないが、それはあなたがその罰を受けるからではなく、間違った導きに従って、自分の道を見失うからである。
あなたの誤りがあなたに属していないように、兄弟の誤りも彼に属していない。彼の誤りを実在するものとして受け入れるなら、あなたは自分自身を攻撃したのである。自分の道を見つけて、それを維持したいのなら、自分の傍らに真実だけを見ていなさい。あなたと真実はともに歩んでいるからである。あなたのなかの聖霊(ホーリースピリット)が、あなたの内側のすべてと、兄弟の内側のすべてを赦す。彼の誤りはあなたの誤りとともに赦される。愛が分離していないように、贖罪(アトーンメント)も分離していない。贖罪は愛から生じるものなので、分離はあり得ない。兄弟を正そうとする試みは、あなたが自分で正せると信じていることを意味する。これはエゴの傲慢にすぎない。訂正とは、傲慢さを知らない神に属するものである。
神がすべてを創造されたので、聖霊(ホーリースピリット)はすべてを赦す。あなたが聖霊の機能を引き受けてはならない。もしそうするならば、あなたは自分の機能を忘れることになる。時間のなかでは癒やしの機能だけを受け入れなさい。時間はそのためにあるからである。神は、永遠のなかで創造する機能をあなたに与えた。あなたはそれを学ぶ必要はないが、それを求めることを学ぶ必要がある。そのために、あらゆる学びが作られた。これが、あなたが必要もないのに自らつくり出した能力を、聖霊が活用する方法である。それを聖霊に差し出しなさい! あなたはその活用法を理解していない。聖霊は、あなたがあらゆることを有罪と見なさずに見る方法を学ぶことで自分自身をも有罪と見なさずに見る方法を、あなたに教える。有罪宣告はあなたにとって実在しないものとなり、あなたの誤りのすべてが赦されるだろう。[T-9.Ⅲ.1:1-8:11](イエスとブッダが共に生きた生涯(ゲイリーレナード)250ページより引用)

※奇跡講座からの引用の引用ですね。

 

このなかで一番ゾッとしたのは「あなたが聖霊の機能を引き受けてはならない。もしそうするならば、あなたは自分の機能を忘れることになる」の部分です。その発想はありませんでした。ちょっと気持ちが楽になった感覚もあります。

つい先程私が記事にした内容についての答え合わせになっていながら、しかもそれをさらに発展させたようなより深い気づきも与えてもらいました。この一連はまさに完璧な導きだったと思います。

 

今のあなたに読ませたかったし、何よりこうして書き写させたかった。とくに深く理解してほしいことだからだ。

 

うわ、これもか(笑)確かに、書き写しながらより理解を深めることができました。

 

よかった、うれしいよ。

最近のあなたは大分落ち着いてきたものの、まだまだ急いでいた。焦りもあったし、何より楽しくて「もっともっと!」と、どんどん進んでいた。(身に覚えがあるね?)あなたはこの道を進むことについては天才的なインスピレーションを発揮するが、それが暴走しかけていた。あなたはいろいろすっ飛ばして、あと少しで聖霊になろうとしていた。

 

え、マジですか?

 

マジだよ(笑)べつにそれはそれでかまわないのだが、それはあなたの本来の意志と今の段階で完全に合致しているものではなかった。あなたはまだ、もう少しだけ、留まりたい。

 

もしかして、超好意的解釈かもしれませんが、「神さま!今行きますね!!」とか言いました?(笑)

 

言ったなんてもんじゃない。叫んでいたよ(笑)

あなたはこれまで2回、まったく同じ経験をしている。1回目はあなたにいなくなられては困る、霊感のある人が止めた。2回目はあなたが自分の判断でやめた。

あなたが今朝から頻りに考えていた、あなたがなんとしても見たいと思う光景を見るには、あなたにはまだまだやり残したことがある。無意味な仮定だが、今朝の想像がなければあなたは留まらなかっただろう。あなたはあの想像をした後に、「地上の故郷ではなくて天国に帰りたがっていたことに気づいた」「天国に帰りたい」と、はっきり言葉にしていた。だから、今の段階のあなたはこれまで以上に言葉に気をつけなさい。それはあなただけでなく多くの人を巻き込む光景をあなたに見せることになるから。

 

この後「奇跡のコース」が見つかり、栞を挟んでいたところを開けると、偶然にも上記とまったく同じ箇所だった。

また「あれ、こんな迫ってくるような内容の本だったかな?」と思った。(丁寧語で書かれているのもあり、もっと遠くから読み流せる本だったはずだ)まるで言葉が生きて意思を持っているように感じた。4周目だがこんなことは初めてだった。

最近、こういう不思議な現象に慣れ切っている私でも、さすがにこれはただ事ではないと思い、直後にこの部分(この記事の引用部分)を印刷し、何度も何度も声に出して読んだ。

実際に印刷したものです

 

あなたが今いるのはそういうレベルだ。あなたはかなり核心に迫ってきている。(というか時々意識せずに触れているようなところまできている)

 

改めて熟読してみて、まったく気づいてもいなかった、今“足りないこと”がすべて書かれていることに血の気が引くくらい驚きました。奇跡のコースにこんな箇所あったんですね。

世界の幻想性を見抜いて、まるで世界の鼻を明かしてやったような気になっていました。お恥ずかしい。

 

わたしに注意されたと感じているようだが、それは違うよ。「神の平安はここにあります。さあ、好きなだけ受け取りなさい」の言葉を与えたとき(抵抗を放棄して光を見たのにまた苦しみ出した私の“気づき”の過程と神との対話「毒の花」)と同じように、新しいあなたを支える言葉を与えただけだ。(今回はしっかり構えてキャッチしてくれてうれしい)

そして、今のあなたにはここに書かれていることが難なくできる。(ここは一瞬だろう)

 

看破して決別を宣言するところまではできましたが、……悔しいですね。「兄弟の誤りを実在するものとして受け入れず、彼をありのままに見る」ですか。

たしかに「実在しない!」と断ずることで逆にそれをぶつける対象の実在を認めている感はありましたね。「これでいいのか?」という釈然としない感覚はありました。……あ!抵抗!!

 

そうだね。よく見つけました(笑)

そして、あなたがこれを簡単に行うための手がかりを既にあなたは見つけて自分で完璧な言葉にしている。先程の一連のなかで、あなたがもうひとつ気になった言葉があるだろう。

 

はい。「イエスとブッダが共に生きた生涯(ゲイリーレナード)」の250ページに驚いた後、「一応きりの良いところまで……」と思って読んだなかで、279ページにあった

「わたしは、同じことをする自分を責めたいだろうか」(イエスとブッダが共に生きた生涯(ゲイリーレナード)279ページより引用)

という部分です。

……でも、私なら責めちゃうかもなあって。

 

では、こうは考えられないだろうか。

「神の力において、すべての兄弟がひとりのあの子になったとしたら、わたしは彼らを責めたいだろうか?」

 

それは責められませんね。彼女が何をしたって、何をしていたって私が感じる彼女の価値は変わりません。今でも「あなたはただ、世界に存在してくれるだけでいい」の言葉に嘘偽りはないです。(あれも「いったい誰が話しているんだろう……」という感覚でしたが)

だから、責めるどころか、毎回出会えたことに感謝して、満たされ、癒やされますね。そしてそれを私も……あ!!

 

今朝、あなたが想像の中ではっきりと言葉にしていたことだね。……ほら、どうせ隠せないのだから今ここで言ってみてはどうかな?

 

……わかりました。

「『あなたを見るようにすべての人を見ることができたなら、なんだかすごいものが見られるかもしれない』一瞬の気の迷いかもしれないけれど、気がつけば私はそれをどうしても見たくてたまらなくなっていた。『その時は本当に世界を救えるかもしれない』と思ってしまった。そのきっかけをくれたあなたに感謝します」

 

素晴らしい。まさに愛の言葉だね。もう一度聞けてうれしいよ。

本にもあったとおり、贖罪は愛から生じる。まだ感じている(バレているよ笑)最後の抵抗を捨て、愛に身を任せなさい。愛でいなさい。癒やしを受け入れなさい。それがあなたの機能である。迷いが生じたならわたしに(聖霊でもかまわないが)愛との交換を“依頼”しなさい。そうすれば贖罪は自然と起こる。あなたは完璧にあなたになる。

だから、わたしはあなたに“自分”を与えた。

 

(バレていましたか笑)ここまで完璧に導かれていたということですね……。

 

(「愛はこの夢の世界に於いてあなたが唯一強く感じることのできる実体である。幻想を幻想で代替することはできても、実体である愛に代替できるものなどこの幻想の世界にはひとつもない。愛は愛である(他の何に抵抗しても愛にだけは抵抗しないほうがいいよ)」って言っただろう?幻想の中の序列で愛を分解しようとすると疲れるよ?)他でもない、真理に到達したいあなたにね。それにしても目まぐるしい変化だ。「電光石火」とはまさに今のあなたのことだな(笑)

だから、これからはより言葉に気をつけなさい。あと、もっとわたしを信じることをとくにおすすめする。今日あなたが帰りに聴いていた音楽の中でもずっと伝えていたが、恐れを捨てて、飾らない声を信じてほしい。それはあなた自身を信じることなのだから。

 

神さま、本当にありがとうございます。あなたが与えてくださったすべてに感謝と愛を捧げます。

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