人間ゴータマ・シッダールタってこんな人①|出家と気付き

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【シリーズ記事】カースト制度全盛期の陰鬱とした古代インドに彗星のごとく現れて燃えるように生きた哲人、ゴータマ・シッダールタの生涯について宗教臭をカットしてシンプルにご紹介します。

人間ゴータマ・シッダールタってこんな人

私は特定の宗教を信仰してはいませんが、ブッダの哲学や生涯には並々ならぬ興味があり、歴史上の人物でリスペクトしている人は誰かと問われれば、まずゴータマ・シッダールタの名前を出すと思います。

 

ちなみに、日本に伝わっている仏教は、シッダールタのそれとはかなり形を変えています。

生前のシッダールタにカースト制度を徹底的に論破されたヒンズー教の報復で、死後教えの中にめちゃヒンズーの教えが混ざったのと、中国大陸を経由してしまったことで儒教がかなりの濃度で混ざっています。

そういう混ざっちゃった教えを見つけ出すのもおもしろいので、よく経典の訳本を読みます。

 

波乱に満ちたシッダールタの生涯は、読んでいるだけでドキドキ・ワクワクするのですが、ここでは私がおもしろいと思うところを時系列でシンプルにご紹介します。

今回は、幼少期から出家後の修行時代までです。

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父王を困らせる素直じゃない子だった

今まで宗教色あふれる伝記から、現実的な解釈にこだわった研究的要素の強い伝記まで何冊も読みましたが、とりあえずシッダールタは幼少期から些細なことに疑問を抱き、傷つきやすい子だったようです。

 

当時はカースト制度という生まれつきの身分制度が浸透しており、

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シャカ国という小さな国の王子として生まれたシッダールタは、このヒエラルキーでいうクシャトリヤでした。

そんなわけで、幼少期から

「クシャトリヤなんだから勉強しなさい!」

「クシャトリヤなんだから武術を覚えなさい!」

とかそういう英才教育が施されるのは当然で、誰も疑わない当時の常識でした。

 

しかし、シッダールタは

「なんでクシャトリヤだと戦わなきゃいけないの?」

「戦って人を殺すことを義務付けられているクシャトリヤってそもそも何?なんで?」

「ていうかなんで生まれつき身分が決まってるの?」

みたいなことを普通に聞いちゃう子だったそうです。

 

これには、彼の教育係はもちろん、将来立派な王になってほしいと考えている父王もかなり苦心したとか。

愛する我が子に「障害物」という名前をつける

四門出遊(出かけようとして、自分ちの4つの門の3つからそれぞれ生きる苦しみの象徴を偶然見て、最後の門で修行僧を見て感動した)とか、地元の青年団の話し合いでの態度が原因で追放されたとか、シッダールタが出家した理由は諸説ありますが、上記のような子がそのまま大人になったら、遅かれ早かれ出家しそうな気がしますよね。

 

20代後半のシッダールタが出家をわりと真剣に考え始めていた頃に、奥さんとの間に男の子が生まれます。

一番喜んだのは奥さんと父王。

「よし!これでシッダールタは落ち着いてくれるだろう!」

(もう当時から出家しそうな雰囲気ムンムン出していたんでしょうね)

 

「さあ、あなたのお子です。どうぞお名前を付けて下さいませ!」

「……障害物」

 

たぶん、もうほんとに出家しようと思っていたので、愛する我が子が出家の障害になると思ったのか。

そんなわけで、一人息子はラーフラ(障害物)と名付けられました。

出家した!いろいろ極めてみた!でも……

なんやかんやあって29歳で出家したシッダールタは、とりあえず当時の流行している教団の門を叩きます。

もともとセンスがあったのか、その教団の修行を短期間でマスターしてしまうシッダールタ。

でも、欲しかった心の平穏は得られません。

 

「師匠の師匠は誰ですか?」

さらにその師匠の教団の門を叩き、またそこの修行も短期間でマスター。

まだ心の平穏は得られない。

 

そんなことを繰り返しているうちに、体を極限まで酷使することで悟りを得ようとする苦行の道に入ります。

そこですぐに5人の苦行仲間ができました。
※浄飯王が遣わせた見張り役との説もあり

 

6年間の苦しい修行の後、シッダールタは気付きます。

これは安らぎへの道ですらなく完全な知、解脱への道でもない。身体を虐め抜くことが果たして宗教といえるのだろうか?身体が働き、働きを止めるのも心が命ずるからに他ならない。だとすれば、思念を制御することが正しい道ではないのか。思念のない体はただの犬のようなものに過ぎない。もし身体だけを考えればいいのなら、正しい食事を摂るだけで利点はあるだろう。しかし実践家にとっても利点はなくてはならない。だがどんな利点がそこにあるというのか?体力の限界に達し、飢えと渇き、疲労にうんざりし、心の落ち着きを失くした者が新しい光を得ることは出来まい。真の静謐と心の平静さは、肉体が必要とするものを規則正しく満たすことによって正しく得られるのだ
(B・R・アンベードカル「ブッダとそのダンマ」より)

つまり、

「これ意味ないじゃん!」

ということです。

 

6年間続けた苦行をきっぱり捨てちゃう、潔いシッダールタさん。もう30代も後半ですよ。

とりあえず川で身体を清めた後、手頃な木の下で坐禅を組みます。

 

そこに偶然通りかかったのは……

 

次回へ続きます。

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