夢の性質に気づきました「だから私はそこに愛を置く」

外出中にふと気づいて、その場で夢中になってスマホでメモを取りました。「【決別】狂った世界、矛盾した世界はもう信じないし見ない」という記事で書いたような、私が見ている(見てきた)世界について私が感じたことを、もっと詳しく解説できました。

 

夢よ、あなたたちの性質を今確かに見抜いたぞ!

この世界では不安定な性質のものは、現れることはできても安定してその場に留まることは出来ない。儚いもの、虚ろなものは例外なくこの法則に従う。あなたたちは常に支離滅裂であることだけが首尾一貫しているというようなその明らかな矛盾性から、不安定であり、儚く、虚ろである。

そして、どこからともなく現れ、たちまち消え去る運命にあるあなたたちをそこに留まらせるのは、他でもない「あなたたちがそこにいる」という私の信念だった。

それを取り下げた今、あなたたちは存在基盤を失ったことになり、実在を完全否定されたことになる。それでも尚あなたたちが実在しているというのは、ちょうど「2年前にしたおならが今も拡散せずにそこに留まり続けている」くらいあり得ないことである。

あなたたちは存在しない。あなたたちがいるように見える場所にあるのは無であり空であり、それは実在しない。私が見ている瞼の裏の夢幻との違いを誰も証明できない。

そして、どうせ実在しないのであれば、私はそこに私にとって心地よいものを置く。祝福を置き、喜びを置き、愛を置き、私の信念はそれらに向けられる。欲しくないものも、欲しくないのに欲するべきと思っていたものももう選ばない。私は私を心地よくさせてくれる本当に欲しいものだけを力強く選ぶ。

 

夢の中の人影を私は実在の人だと思っていた。

人の不幸を自分の幸せとし、何かを得るためには人から奪わねばならないと思って、守るために人を攻撃するような人は夢の中の人である。なぜならそれは真理と矛盾した考えだから。真理は実在であり、真理と矛盾するものは真理ではない。よって実在しない。実在するもの以外は実在し得ないのは疑いようのない単純明快な事実である。実在し得ないのに実在するものがいるとしたら、それは夢の中か、極端に好意的な解釈をされた過去の中だけである。

真実はこうである。人の不幸は自分の幸せになり得ないし、得るために奪えば自分も失うのである。それで幸せになったり、得たりできると考えているのは妄想だし、その結果何かを蓄えられたと思ってそれを守ろうと攻撃するのはもはや狂っている。それは絵空事であり、フィクションの次元の話である。

そのような狂った考えに従っていながら、私の目の前に現れる“まで”無事に存在できた、そして去った“後”も無事に存在できると考えるのは明らかに不自然であり、あまりにも好意的な解釈である。そのような無理のある解釈には、当然のことながら負荷が伴う。私は無理をしてきた。それは私に疲労と苦痛を感じさせずにはおかなかった。そんなものに付き合うのは馬鹿げている。

だからもう私はそれら一切への信念を取り下げる。夢も過去も投げ捨て、永遠の実在である“今”へのそれらの介入を許さない。一切の価値判断をやめ、静かな世界で光の中へと溶けゆくあなたがたを、どの“今”も愛の眼差しで見つめることを選択する。

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