ゴータマ・シッダールタの悟りの瞬間

ブッダってつまり<マスター>なんですよね

然り。

あなたのそういうところが好きです。いきなり禅僧みたい笑

ありがとう。

彼の悟りの瞬間はどのような感じだったのでしょうか?

今のあなたには気になるだろうね。よろしい。乳粥の話(※1)を知っているね。あれは彼の人生を変えた重要な体験だった。想像してごらん、長年の断食と苦行によって体をいじめ抜いた後に、栄養満点で程よい温度のやさしい乳粥を口にしたらあなたならどんな反応をすると思う?

なにこれ美味い!!って感動すると思います。こんなに美味いものがこの世にあったのか!って

そのとおり。まず彼の感覚器官で感動の大爆発が起こった。「美味い!」が自分なのか自分が「美味い!」なのかわからない、ただ全宇宙に「美味い!」が在るだけのような強い感動の爆発は、彼という存在を定義しているものを一つ残らずふっ飛ばし、一瞬で世界を包んだ。気づけば自分はいなかった。自分はいないという感覚と“自分”の中にすべてが内包されている感覚が同時に起こった。彼は個であり全体であることを悟って感謝の涙を流していた。それは美しい光景だった。ニルヴァーナ前を生、後を死だとするなら、彼の生前の最後の言葉は「なにこれ美味しい!ありがとう」になるね。

お釈迦様!笑 もっと、もっと聞かせて下さい

いいよ。彼はまさに愛そのものになった。彼の視点で言えば「感動を伝って“なんかすごいもの”が“流れ込んで”きた」と言えばわかりやすいかもしれない。それは愛だった。愛そのものであるわたしとの一体感は愛そのものになることだ。思考を離れ、感覚を離れ、あらゆる必要性から離れ、世界の中で「ふっ」と存在の明かりが消えた。彼は存在とは無限の関係性の中で定義され、一定のものなど存在しないという縁起を“体験”した。彼はわたしと同じ知恵を得た。あらゆる境界線が消えてなくなり、魂はわたしと同じ完全な自由な状態になった。彼はわたしと同じ感覚を得た。わたしは愛だから、彼は愛そのものになって、気づけば魂ごと涙を流していた。「滴る水の一滴にも慈愛を感じて落涙した」という逸話があるがあれは真実だ。それどころか彼は空気の粒子ひとつひとつから宇宙全体に至るまで感動と無上の感謝を覚えて泣き腫らしていたよ。これらが同時に起こった。また、人がその感覚に至るのに自分がやったような苦行は“やりたいならやってもいいけど別に必要なことではない”と知った。

マーラ(釈迦の悟りを邪魔しようとした、人間を煩悩で灼き続けようとする欲望の化身)の妨害なんてなかったんですね

悟りの爆発の中で、刹那彼は迷いも感じたよ。彼は戻りながらひとつひとつ確認して進む人だったからね。彼は感覚的欲望に妨害されたのではない。彼だけでなくあなたがたすべての道を妨害するものなど後にも先にも存在しない。わたしがそんなものを創ると思う?わたしが創っていないものは存在しないよ。自由なる魂となった彼はただ“もともと在った”欲望の存在をひとつひとつ確認しただけだよ。これも素晴らしく感動的な体験だった。確認して、認めて、愛で抱きしめて何度も感謝した。それらも彼に感謝して「おめでとう」と何度も何度も彼の悟りを祝福した。彼らは一緒に泣いて、泣いて、再びひとつになった。

そうだったんですか。そんなことはどの仏典にも書いてありません。なんてロマンチックで美しい光景でしょうか

美しくないものなんて創っていないからね。さて、永遠を体験した後、彼はもう一度降りてくることを選択した。もう一度見てみたいと“欲し”たのだ。世界は乳粥を食べる前とは一変していた。そこは、煩悩に灼かれた救わなければならない人など一人もいない、祝福された人しかいない天界のような世界だった。ただ、彼らはそれに気づいていないようだった。ここで彼は思わず微笑んだ。「先を与えてくれてありがとうございます。共にいて下さってありがとうございます」世界に無上の感謝を唱えて、彼は立ち上がった。「待たせてごめんね。今、思い出させてあげる。約束を果たす時だ」彼は一歩を踏み出していた。あの一歩は今でも忘れられない感動と喜びに満ちた素晴らしいものだった。この、彼が変わり果てた世界を確認してから、無上の感謝(わたしへの宣言)を唱えるまでの刹那をあなたがたは「梵天勧請」(※2)と呼んでいる。「梵天勧“誘”」のほうが真実には近いかもしれない。

あなたのおかげで、当時私と同じくらいの年だった釈迦を今すごく身近に感じています

それはよかった。わたしも嬉しいよ友よ。

※1 乳粥の話:苦行では悟りに至れないことに気づいて苦行を放棄した釈迦は、フラフラになりながら大きな菩提樹の下まで来て、そこで座っていました。どうやらその木が神木のようなものだったらしく、そこに満願成就のお礼に乳粥を捧げに来たスジャータという町娘は、木の根元に座っている釈迦を見て木の精霊だと思い、持って来た乳粥を捧げた、という逸話です。諸説ありますが私はこの話が一番好きです。

※2 梵天勧請:悟りを開いた後の釈迦は「こんな難しい絶妙な真理を煩悩の塊みたいな人間たちが悟るのは無理だ。悟らせるのもなんか疲れそうだし。いいや自分だけで楽しもう……」と布教を躊躇したといいます。そこへヒンドゥー教の最高神ブラフマー(梵天)が「そんなブッダ聞いたことない!お願い教えを説いて!だってあなたブッダでしょう!?」って説得しに来た、という逸話です。

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