価値判断を放棄してぶん投げた時から毎日が変わりました「実践のコツ」

毎日が露骨に“導き”を感じるメッセージであふれるようになったのには明らかなきっかけがありました。基本鈍い私でも、はっきりと身に覚えがあります。おかげでこうしてあなたにもお話しすることができて、とても嬉しく感じます。

 

それは、寝起き一発目、何か心の声や言葉を発するその前に、

今日私は一切の価値判断をしない。神か聖霊(どっちでもいい)にすべてをまかせる。

という意思を表明することです。

 

たしか、これを始めたのは<【決別】狂った世界、矛盾した世界はもう信じないし見ない>の記事を書いた翌日くらいだったと思います。最初はものすごく自暴自棄な気持ちで始めました。ほんと「今存在が消えてもいい」って思うくらい投げやりな気持ちでした。神さまには内緒ですが、ちょっと怒ってました(笑)

 

私は2007年くらいに臨死体験で光の世界を見て、忘れもしない2018年12月16日に、何でもないようなことから急に神の声みたいなものが聞こえるようになりましたが、それでも今日まで何度か強く絶望しました。そんなインパクトのある体験を2回もしておきながら、です(-_-;)

当時の私の考えでは、こういうタイプの体験をした人って、それ一発でもう「救われて不可逆的に幸せになって安泰~\(*´ᵕ`*)オツカレー」みたいになるはずでした。でもぜんぜん違いました。(それ言ったら「なんで神の声聞こえるようになったのが臨死体験から10年後なんだよ直後じゃないのかよ」っていうのもありますけど^^;)

お恥ずかしい話、長年強く抱いていた特別性や優越性への渇望を、強烈に、病的に満たされて、「神さま(だと思う)の声が聞こえる私は特別(その他大勢に優越している存在)なのかもしれない!」という傲慢な気持ちが起こり、すべてをコントロール(支配)しようと考えるようになりました。今となっては「いや、あなたがコントロールしようとしているのって幻想で実体がないんですけど……(^_^;)」って感じです。

任せときゃいいものを、こっちからいらないちょっかいを出すから、こてんぱんに負けて絶望する……。そんなことを繰り返して、本気で、深いところまで、しっかりと、投げやりな気持ちになっていきました。結果的に「もう何もかもいらない。好きにして……」と、手放す方向へと導かれていたのでしょうね。

 

それが転じて、変化に富んだ、退屈する暇のない、まだちょっと認めたくない気もするけど、どう考えても満たされている毎日を送るようになって、「なんだこれ?」と思ってよくよく振り返ってみたら、分岐点は明らかにこれを実践するようになってからでした。

他にもあれやこれや実践していますけど、揺るぎないのは一日をこの意思表明で始めていること、たったそれだけです。(「試しにやめてみろ」と言われてもやめません。念のため)

 

超簡単なので、めんどくさがりの私にもすごくぴったりでした。

実践する際は好きな言葉でかまいません。(まだ一日が始まったばかりですが)「何も決断しませんので、あとは神さまよろしくおねがいします」とかでもいいでしょう(神でも聖霊でも如来でも観音様でもホーリーなんとかでもいいと思います)

一日の途中でこの記事に出会われた方は、今日はもういいですから、焦らずに、明日の朝からやってみるといいと思います。

 

恐れないで、任せてみてください。初期にこれの実践の強烈な妨げになったのは恐れでした。

でも気づきました。恐れって愛の対極に実在としてある概念(神VS悪魔みたいな?)ではなくて、単純に“愛じゃない状態”です。……うーん、これも無理がありますね、あなたはもともと愛から生まれた延長された愛なので、“愛が愛を忘れた状態”(無理してるなあ)というのがより近い気がします。

“ない状態”ってもう名前に正体が出てますけど、実体がないんですよ。ないから“ある”と仮定して大真面目に付き合うと、振り回されて疲れてしまいます。恐れと二次元の恋人は実体のないものとしてお付き合いしないと大怪我します。

 

大丈夫です。カジノで人生一発逆転を狙って有り金を全部BETするような話でもないですし、これに賭けるのはこれまでのあなたからしたらあまりにも少なすぎる僅かなものです。最小の投資で最大の利益を得たい、そんなあなたに朗報。ここに100%“見返り”のある最高の投資先があります。相手は確実に“応える”性質のものなのでそうならざるを得ません。そしてあなたが差し出すことを求められているのは、芥子粒ほどのちょっとした信念です。

私だって出るか出ないかわからない台よりは出る台を打ちたいですよ。もしそんな台があったら、それこそ持てるものすべてを注ぎ込みますね!それが私の今です。

 

あと、決意表明をしてまかせたのだから、疑念(恐れの変化身)を差し込まないこと。疑念が起こっても意識を与えないこと。

いつものように疑念が「あのー」って話しかけてきそうになったら、「あーあー聞こえない!」「まかせてあるからそっち通してもらえる?はいおつかれ!」みたいにして聞く耳を持たないようにします。やばいことやらかしたときの政治家の記者への対応が非常に良いお手本になるでしょう。

もし疑念に囚われたら再度決意表明するようにします。

それを続けて一日を終えれば、終日決断し続けていたことになるわけです。揺るぎない決断に強靭な精神力とかいりません。(それってどんなの?^^;)ちょっとの工夫だけでそれは簡単にできます。

 

大丈夫です。死んだりしませんから。私一回死んだことあるのでわかりますけど、私たちの本体(生命)って死ねないんですよ。だから大丈夫ですよ^_^

 

 

以上です。

読んでくださってありがとうございます。あなたとの出会いを与えてくれたものに感謝します。

あなたが満たされていますように。

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