般若心経を山口弁で訳してみる

この記事を読むのに必要な時間は約 4 分です。

一時期、般若心経のロックな現代語訳というのが流行りましたね。ロックかどうかはわかりませんが、ここでは山口弁で般若心経の現代語訳を書いてみたいと思います。

はじめに

私は特定の宗教を信仰していません。

◆お釈迦さんことゴータマ・シッダールタの生き方に、小さい頃からものすごい興味があった
◆漢文の勉強がてら、お経を読みまくった
◆仏教哲学の本や経典の訳をたくさん読んだ

……で、ついた知識がもとになっています。

どうぞ気楽に見ていただければと思います。

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摩訶般若波羅蜜多心経の山口弁訳

hannya_shingyo

摩訶般若波羅蜜多心経
(ぶちスゴい最高の智慧、プラジュニャーパーラミーターについて)

 

昔、アヴァローキテーシュヴァラ、通称「観音さん」っちゅう人がおったんじゃが、

その観音さんが、プラジュニャーパーラミーターっちゅう智慧の教えを修行しよった時、

「五蘊」ちゅうてこの世を作っちょるもとになっちょるもんが、そもそも実体がのうて空虚じゃと見抜いちゃった。

そいですべての苦しみやら災いを抜けられちゃったそいね。

 

シャーリプトラ、こん肉体(からだ)は空虚とおんなじことじゃ。

空虚ちゅうことも肉体とおんなじことじゃ。

つまり、肉体は空虚じゃし、空虚なんが肉体じゃ。

肉体が空虚なんじゃけ、肉体から生まれちょる感覚も、イメージも、意思も、認識もそうじゃろ?

 

シャーリプトラ、ほいじゃけこの世の現象はみーんな、空虚っちゅう特徴を持っちょるけん、

生まれんし、ないならんし、

汚れんし、汚れがのうなるっちゅうこともないし、

増えんし、みてるっちゅうこともない。

 

へじゃから、みんな空虚なんじゃけ、空虚の中には

肉体も無い、そっから受ける感覚も、イメージも、意思も、認識も無かろ?

眼も、耳も、鼻も、舌も、身も、意も無いんじゃけ、

そっから生まれる、色も、声も、香りも、味も、感触も、ルールも無かろ?

眼で見えちょる世界も無きゃ、意識で捉えちょる世界も無かろ?

 

へじゃから、愚かっちゅうことも無いし、愚かじゃのうなるっちゅうことも無い。

老いも無いし、死ぬっちゅうことも無いないんじゃけ、老いやら死がのうなるっちゅうことも無い。

 

「これが苦しみじゃ」っちゅう真理も無い。

「これが苦しみの集まりじゃ」っちゅう真理も無い。

「これが苦しみの消滅じゃ」っちゅう真理も無い。

「これが苦しみの消滅に向かう道じゃ」っちゅう真理も無い。

 

知ることも無い、得ることも無い。

もともと得られるものっちゅうんはなんも無いけんね。

 

要はあんたの心しだいっちゅうこといね。

だって空虚なんじゃけえ。

あんたの心が全部決めよる。

あんたの心が存在を認めんものはあんたの世界には存在できんのよ。

じゃけん、あんたは自由に選んでええそいね。

 

菩薩さんらは、こねえな真理をよう知っちょるけん、

心にこだわりが無いんよ。

心にこだわりが無いけん、恐れも無いし、

心が乱れんけん、乱れた世界を見るようなことからは、遠く離れたところにおって安穏としよってそ。

 

過去、現在、未来の仏さんらも、みーんなこの智慧のおかげで、

いっちゃんええ悟りを開いちゃったんよ。

 

じゃけん、こん智慧の教えこそは、

偉大な神さんらが喜ぶ偉大な呪文じゃし、

この世の真実を明らかにする教えじゃし、

いっとうええ、他に比べるもんのない教えじゃし、

すべての苦しみを取り除いてくれる教えで、真実で偽りのない言葉じゃ。

 

これを呪文にするけんよう覚えちょきんさい。

「行きんさい、行きんさい、完全なる智慧で、完全なる悟りへ行きんさい。あんたの悟りに幸あれ!」

 

般若心経

おわりに

なんかアメちゃんをくれそうな近所のおばあちゃんが語っているようになってしまいました。

ところで、なんでおばあちゃんがくれるアメちゃんって、カンロ飴か純露の二択なんでしょうか?

 

ちなみに、般若心経で説かれている「空」の思想は、よく虚無主義(ニヒリズム)と間違われるのですが違います。

詳しく知りたい方は、中村元さん訳の般若経典や法華経など立ち読みしてみられるといいと思います。すごくパワフルで、一生、鬼のように使えるマインドが手に入りますよ(^^)

 

最後までお読み下さりありがとうございました。