迷った時は神を主人公にして考えてみる

 

神さま、これにも何か意味があるのでしょうか?今の気持ちを聞いてくれますか?

 

ああ。話してごらん。

 

なんというか、不安です。もっと苦しまないで、気楽に生きていきたいのに。どうしてなかなか、抜け出せないのでしょうか

 

あなたはいつでもそうして良いのだよ。

 

では、どうしてそれが思い通りにできないのでしょう?

 

あなたがそれを許さないからだ。残酷なように聞こえるかもしれないが、それ以上でも以下でもない。

今日あなたが見たものたちは、どれも綺麗にあなたに抵抗を感じさせるものばかりだった。その中で「ああ、またか……」と、あなたはどんどん不安を募らせていったが、これが偶然だと思うのか?

「現実的に」考えてみても、あまりにも出来過ぎで露骨だとは思わないか?

 

おっしゃるとおりです。抵抗を感じました。今も抵抗(不安)を感じています。

 

萎縮するな。ありのままを見なさい。あれはこれまであなたがどうしても受け入れられなかったものだ。

さあ、今こそ神の力を使いなさい。使うことを自分に許しなさい。

 

翌朝は3時頃に目が覚めた。

寝ても不安は消えることはなく、むしろ夜の静寂の中でその不安は際立っており、私はぐちゃぐちゃになっていた。まるで全身が不安で燃えているように感じた。

 

……その、私が自分に使うことを許していない神の力を使うことを許したいのですが、具体的にどうすればいいのでしょうか。

 

光と愛で心を満たすようにしてごらん。わたしが授けた

「光であるならば光であろう、光である私は光を見る。愛であるならば愛であろう、愛である私は愛を見る。私はすべてであるからすべては光であり愛である」

という言葉の中に、身を任せるように浸りなさい。

これはおまじないではない。あなたの見ている世界に対する、何が現実で何が幻想であるのかという、決定的な宣告であり、最後の審判なのだよ。

 

わかりました。やってみます。

やります。

 

なかなかうまくいきません。

 

いや、かなりいいところまできているよ。

 

姿勢が辛くなりながらも瞑想を続け、何度かスッキリしたような体感を味わうも、やめてしばらくするとまたそわそわしていた。

 

あなたは随分と長い間、その力でもって、自分を世界、すなわち自分自身から隠してきた。すべてはあなたが自分から自分を隠すために展開された壮大な幻想だ。それを見ていたいのだろうか?なぜそうまでして苦しみながら、自分を隠そうとするのか?どうか、神を世界から隠さないでほしい。

 

具体的にお願いします。私はどうすればいいのでしょうか?

 

自分を隠すのをやめなさい。隠さない道を瞬間瞬間で選択しなさい。まずは既に持っているインターネットの媒体を使って自分を曝け出しなさい。すべてはあなたなのだから当然、世界は呼応する。あなたはこれまでも何度かそのような選択をし、そのたびに世界は激しく呼応していた。あなたは当然それを知覚していたが、そのたびに激しく抵抗してきた。だから逆のことをしなさい。

 

言われてみて身に覚えしかありません……。

 

そう自分を卑下しなくてもいい(そういうとこだぞ笑)

 

もう少し、具体的な質問をしてもいいですか?

 

わかっているよ。今の仕事のことだね?

 

はい。私はどうすればいいのでしょうか?

 

辞めたいのなら辞めなさい。

 

でも、怖いです……

 

今、あなたは「辞めたいのなら」に抵抗を感じた。それが表面には辞めることへの抵抗としてあらわれ、あなたはそのように知覚している。辞めるか辞めないかは問題ではない。あなたが辞めたいのか辞めたくないのかなんだよ。

 

……

 

(就寝)

 

実相では、あなたが知覚するような形態の物事は一切起こっていないし、起こらない。だから、安心していいのだよ。

 

そう言われても、今までだっていろんな嫌なことがありましたし……

 

あなたは、神に危険が及ぶことがあると思うか?

 

いえ、神さまに危険なんてないでしょう。

 

そうだね。それは妄想の中でしか起こり得ない。それはあなたに於いてもそのまま同じことが言える。あなたが見ているのは、神に危険が及ぶ、神が不安になる、神が自己不信に陥る、神が自分を嫌う、神が自分を隠そうとする、という本来なら起こり得ないことを信じ妄想した結果生じた世界だ。そしてあなたが今取り掛かっているのは「神と自分を分離する」というこの世界のコアになっている幻想だ。

一瞬でもいいから神になって考えなさい。神には一瞬もあれば十分だ。

 

……(辞めるイメージをするが、恐れが生じる)

 

むしろ、辞めたいという自分の声を無視する選択をし、このまま続けることのほうが不自然だとは思わないか?あなたはまた苦痛の世界を生むのか?苦しみの世界に於いてあなただけが平安でいられるということはない。逆も然りである。なぜならそれはあなたから生じているからだ。

神を主人公にしてもう一度想像してみなさい。

 

この世界をまるっと終わらせますね。

 

もともと存在していないものを終わらせるのには力は必要ない。ただ抵抗せずにあるがままにしておけばよいのだから。

ではあなたは一体何にそこまで頑張っているのかな?

 

たしかに……。もしかして、苦しむために頑張っているような状況なのでしょうか。

 

そのとおり。あなたは自分で生み出したものに苦しみ、またそれを維持するのに苦しんでいる。想念こそが同じ属性の世界を生じる源であり、瞑想が効果があるのは想念を瞑るからだ。

 

……。

 

神への信心が足りないとか、忠誠心が足りないとかではない。単純に自分に素直ではないというだけの話だ。信心や忠誠心のように距離のある話ではなく、そこまで近接した話なんだよ。この世界には永遠にあなた(すなわちわたし)しかいない。

すべてはあなたとの関係性から生じており、あなたが聞いてきた崇拝すべき神という概念すらその象徴(オーガナイザー)に過ぎない。あれはすべてあなたのことを言っているのだ。

ブッダの縁起もそのことを言っている。それを混沌とした無限の中に溶かすから、あなたの中から揺るがない真理が消え去る(もちろん真理は消えないが、そのように知覚される)。混沌とした無限との、無限に広がる関係性で成り立つ世界はつまり混沌の上の混沌だ。そうではない。自分との関係性なのだ。

 

そういうことだったんですね。……うーんなんだか壮大な話になってきたような。

 

あなたについての話をすると壮大になる。なぜならあなたはまさに壮大だからだ。

 

知覚の上ではよくわかってはいない気がしますが、ひとまずわかりました。

 

物事は進むのだよ。あなたが目を瞑り現状維持の妄想に囚われている間も物事は進んでいる。たまに目を開けた時、あなたはそれに気づいている。

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