再度、私の祈りと神との対話「さあ約束どおり綺麗な終わり方を見せてください!」

ここ最近(2019年末から2020年1月下旬)の、事が起こるペースの激しさといったら……。またです(笑)しかし、今回は全然違った反応になりました。今回は神へ問いかけたのではなく、こちらから宣言をしました。

 

この日私は、上の理不尽な都合(私怨?)から、長年勤めた職場を不名誉な形で追われそうであることを人づてに知りました。

 

神さま、あなたがくださった平安は、まだ煌々と輝き続けています。だから私は大丈夫なんです。(すぐ蓋をしようとしてしまう私と神との対話「抵抗をやめて素直になりなさい」「ある天使の話」

 

「そうかな?とても無理をしているように見えるが」と言ったほうがいいのかな?(笑)

 

いいえ、今度は違います。神さま、もう一度言います。あなたがくださった平安は、まだ煌々と輝き続けています。だから私は大丈夫なんです!

 

ああ、ようやくわかってくれたようだね。あなたはこれまでもこれからも永遠に安全なのだ。

 

はい。How can I fear with Jesus(私が好きでよく聴いている聖歌)です。Jesusもいるし、ブッダもいるし、なによりあなたがいる。そんな状況で、こんな些細なこと、“恐れようとしなければ恐れられません”よ。……私は今までこんな狂っていて馬鹿げたことに感情を乱され、いちいち振り回されていたのでしょうか?本当に?

 

8段階くらい一気に進んだな。そうだ。あなたは何も恐れなくていい。そして今回のことが、あなたが幻想の世界への決別宣言をしたその直後に起こっていることを、他でもないあなたが知覚していること(気づいていること)が重要だ。あなたが、狂った矛盾した世界に、初めて、堂々と、「もう信じないし見たくもないから好きにしろ」と決別宣言をしたことで、それら狂っていて矛盾したものたちは、命をかけた最終決戦をあなたに仕掛けてきた。強烈に狂っていて、強烈に矛盾したかたちで。あなたが目にしているのはそういう光景である。

しかし、(一瞬あなたの中で起こりかけたようだが)もう戦いは起こらない。あなたがそれに取り合う気がないから。そして、起こってもあなたはすぐに戦の気配を感じてそれを手放してしまうから、結局戦は始まらない。始まるとほぼ同時に終わってしまう。

あなたは今、若干の迷いも感じながらではあるが、これまでで最も確かに天国を選択できている。

 

(翌朝。昨夜はお酒も飲んだし、ああいう件とお酒の組み合わせで、今までなら不安や怒りで最悪の気分に満ちた寝起きになるはずなのだが、私は“安心”し、癒やされていた。昨日見たものや聞いた言葉を思い出しても心には何の波紋も起こらなかった)

 

彼らはもう赦されています。自分がとっくに赦していることに気づいちゃいました。だって彼らは自分が何をしているのか知らないのですから。私は赦すしかないです。赦すしかないですし、彼らにも平安が訪れることを祈ります。そうだ、昨日と今日私が見たようなあの癒やしの光の夢を、彼らも飽きるまで毎日でも見ることができたらいいな。(純粋無垢で元気で、どこか若い女性を感じる、愛に満ちた光の夢を立て続けに4回くらい見ました。起きた時の気分たるや毎回もう最高!!で、すべてのことがどうでもよくなるような完璧な癒やしと満足感と優しい気持ちに包まれていました)

 

それがあなたの祈りか?

 

はい!嘘偽りない私の祈りです。私の名に於いて、彼らの完璧な平安と癒やしを強く求めます!

 

「そのために自分が犠牲になろう」という考えはないか?

 

ありません。私の幸せはあなたによって保証されていますし、犠牲にするものなど何もありません。いったいどこに犠牲にするものなどありましょうか。私には見えません。もう世界に犠牲者はいないのです。誰かに平安をもたらすために自分の平安を犠牲にするなどというのは狂った世界の道理です。試験管の中のルールを概念に適用する狂った考えであり、真理ではありません。私が平安を放棄すれば、彼らの平安も失われるのです。だから犠牲は私の言葉と矛盾することになります。私は先の宣言どおり、狂った世界の道理や矛盾にはもう付き合いません。単純明快な真理に従った単純明快で明らかな結果を見ます。

あ、神さまごめんなさい。犠牲にするもの見つけちゃいました。神さまに犠牲をぶん投げてもいいですか?いいえ「ダメ」と言っても投げますよ。投げ返しちゃダメですからね!

 

ほう!何だろうか。もちろん受け止めよう!ぶん投げてみなさい(笑)

 

それは、“恐れ”です。囚われることはないのですが、それらはまだ私の中に“流れ”ています。まだ遠くの方で、恐れの実が落ちる音がします。あなたは以前、「あらゆる美しいものの創造主、愛の光の源であるわたしにかかれば、綺麗な終わり方になるのは決まっている。そういう性質のものに疑問を投げ込めば、それは綺麗に浄化される(神に食ってかかった私と神との対話「苦しみの世界が顕現された理由」)」と仰いました。もう私は綺麗な終わり方が自分には相応しくないと思っていませんし、天界と地上を分ける狂った考えにも信念を置いていません。神の平安には綺麗な終わり方以外どんな終わり方も相応しくありませんし、天界が地上から遠く離れた空の上にあるのであれば、いったい私は今どこにいるというのでしょうか。神の平安が顕現する場所といえば天国です。それは天国の属性を完璧に宿すものなので、それが起こる場所は天国です。

さあ、神さま!私の恐れを消し去り、単純明快で綺麗な終わり方を見せてください!

 

よろしい!神の約束は果たされた。安心して見ていなさい。

ああ、神の子よ。よくぞここまで到達した。あなたは今、まさに自分の言葉で真理を語ったのだ。あなたは今、堂々と“復活”を宣言した。尊き子よ、光の道を行きなさい。あなたの進む道が光である。

 

ありがとうございます。本当に、本当にありがとうございます。あなたのすべての子どもたちが、このような素晴らしい気持ちに包まれることを願って止みません。生命とはなんと素晴らしいものでしょうか。世界はなんと美しいものでしょうか。神さま、アーメン。まじでアーメン!

 

アーメン。

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