【真似】読んでも絶対に参考にならない狂人の生涯【できん】

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現代はいろんな価値観が飛び交っていて、とかく自分を保つのが難しい。だから僕達は破天荒な海外のアーティストに憧れを抱くのかもしれない。でもな、ちょっと前の日本には、現代で偉人として語り継がれている人たちさえも度肝を抜かれた、規格外に破天荒なぶっ飛んだ漢がいたんだぜ。

動けば雷電の如く発すれば風雨の如し

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衆目駭然、敢て正視する者なし……

初代内閣総理大臣、伊藤博文こと伊藤俊輔にそう言わしめるほど、彼の行動力はいつでも見ている者を圧倒した。

わずか27年という短い生涯で、長州藩をかき混ぜにかき混ぜた漢、高杉晋作である。

幕末の長州藩といえば、関門海峡(下関と九州の間)を通る外国船にいきなり大砲をぶっ放したり、御殿山のイギリス大使館を焼き討ちにしたりと、なにかとぶっ飛んだ行動が多い藩だった。そのほとんどの中心にいたのが彼である。

彼は萩の松下村塾の門下生だった。松下村塾といえば、かの狂人吉田松陰の私塾である。

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ちなみに松下村塾には“四天王”と呼ばれる有能な人材がおり、高杉晋作はその一人に数えられ、松陰先生も「将来必ず人の上に立つ人間だ」と彼のことを評している。

高杉晋作は後年ちょいちょい名前を変えるが、東行西海一東洋一と、やたらとという字を好んだ。さすが、「諸君、狂いたまえ」の名言を遺した松陰先生の愛弟子だけのことはある。

やることなすことロックンロール

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江戸の御殿山で建設中だったイギリス大使館を焼き討ちにした事件を知った長州藩は焦りに焦る。

「ヤバいヤバい絶対幕府怒るじゃん!!」

そりゃそうだ。最初から幕府を怒らせるためにやっているのだから。長州藩は慌てて彼を江戸から呼び戻す。

「ちょっと一回落ち着こう?ね?」

「わかりました。じゃあ出家しますので10年お暇を頂きます」

もうね、我が道を行くってこのこと。こんな感じで、あまりに破天荒なので彼は藩から任された役職を何回かクビにされている。

例えば、上記の関門海峡での外国船砲撃(通称「下関戦争」)の時も、彼は下関の防衛を任されていた。彼がこの時に作ったのがかの有名な奇兵隊であり、もちろん彼が総督である。

奇兵隊とは「志ある者は身分を問わず誰でも集え!」という呼びかけで集められた、革新的な有志の集団である。ところがこの奇兵隊がまた問題を起こす。

「奇兵」とは、もともとあった藩士からなる「撰鋒隊」という正規の部隊の対義語としてつけられた名前なのだが、まー身分制度の根強い当時ですよ。当然撰鋒隊側から

「やーい百姓兵!」

「烏合の衆!」

とか揶揄されまくる。うん、間違ってない。間違ってないけど忘れてないか?烏合の衆は烏合の衆でも、あの高杉晋作についていこうとする連中だぞ。黙っているわけがない。

下関戦争の時に撰鋒隊は敗退してしまう。うん、戦争なんだしきっといろいろのっぴきならない状況ってあると思うんだ。しかし奇兵隊ニヤリ。

「うっわ腰抜け侍やー!!」

「侍のクセにこ・し・ぬ・け♪」

……コレ、当時の感覚だと絶対気持ちよかったと思う。なにこの藩。ていうか総督止めろよ。そしてついに事件が起こってしまう。

当時のお殿様、毛利定広が関門海峡の陣営を視察しに来るという話になった時、両部隊は順番に銃撃訓練や剣術試合をお披露目することになっていた。奇兵隊が先。もう嫌な予感しかしない。

結局奇兵隊の披露が押しに押して、撰鋒隊の披露は中止となってしまった。ほら言わんこっちゃない!!当然、撰鋒隊ブチギレ。しかもこの視察を仕切っていたのが奇兵隊の隊士、宮城彦輔だったもんだからもう被害妄想爆発。

「絶対陰謀!宮城のヤロー許さん!」

「襲うか?もう襲うか?」

といきり立つ。そしてそれを知った奇兵隊が逆ギレ。「もうめんどくせーからあいつらやっちゃおうぜ?」ってなって、いきなり数十名で撰鋒隊の屯所である教法寺に押し掛ける。戦だ戦だ!

でも、撰鋒隊の多くはビックリして逃走しちゃう。え、結局!?そこはやらんとー!……で、結局お寺の中で病気療養中だった撰鋒隊士が見せしめに斬殺される。え、それはちょっと……。もちろん撰鋒隊も黙っていない。「こんにゃろーやりやがったなー!!」って、この後、奇兵隊の用人、奈良屋源兵衛を殺害。こうして両者の争いはどんどん泥沼化していく。

結局、この争いが藩にバレ、原因となった宮城は切腹、高杉晋作も結成からわずか3ヶ月で奇兵隊の総督を降ろされる。

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長州藩滅亡の大ピンチに現れたひとりの男

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前述のように、高杉晋作がスネて出家した後、長州藩は大変なことになる。

まず、京都で我が物顔で朝廷の御旗を振りかざしていたのが、禁門の変で薩摩藩と会津藩に京都を追い出され、長州藩は一気に朝敵になる。大義名分が立たなくなるのだ。これは当時の状況では最悪の展開。しかもその際に松下村塾の四天王の一人、久坂玄瑞も自害。嗚呼、めっちゃ有能だったのに……。

さらには、幕府もいよいよこの機に長州征伐に乗り出し、15万の兵で一気に長州をぶっ潰しにかかる。

さらにさらに、このてんやわんやの時に、下関戦争の一件がよっぽど悔しかったのか、当時の国際法を無視してまで攻め込んできたイギリス、フランス、アメリカ、オランダの連合艦隊にフルボッコ。下関を占拠されてしまう。

はい終わり。長州藩(朝敵)VS幕府、イギリス、フランス、アメリカ、オランダとかもう無理。

とりあえず、幕府も攻めてきちゃったから応戦しなきゃいけないし、下関に連合軍が乗り込んできちゃうしヤバい。とくに後者がヤバい。イギリスがめっちゃ怒っている。なんとかしなきゃ。でも、外国人と交渉なんてしたことない。しかも自分たちからケンカふっかけて、ボロクソにやられている。これはもう無条件降伏しても足りないくらい終わってる状況。

藩滅亡の窮地に立たされた長州藩は、ある男にすべてをぶん投げる。高杉晋作(24歳出家中)だ。

たぶん昨日までお経とか読んでた高杉晋作は、いきなり4カ国連合艦隊との和平交渉の責任者として全権を任される。でもさすがの高杉晋作も英語は話せない。このままだと絶対に言いくるめられるというところに、イギリスに留学していた伊藤俊輔が、現地の新聞で長州藩外国船砲撃を知り、「うわあああああ!絶対勝てない無理無理ッ!」って飛んで帰ってくる。ヨシッ!これで交渉が出来る!

さあ、交渉当日。交渉は連合艦隊の戦艦内で行われることになっていた。長州藩交渉役はみんなきっと紋付き袴とかの当時の正装で集合したんじゃないかな?当然だよね!国家の危機だから正装だよね。

ところがそこにひとりヘンなヤツが来た。めっちゃ時代遅れの烏帽子直垂姿をした高杉晋作だった。え、合戦でもするんですか?って感じ。もう無理、嫌な予感しかしない。

さあ、交渉が始まる。相手の通訳はかの有名なアーネスト・サトウだ。高杉晋作と実際に対峙した彼は次のような言葉を残している。

「戦争に負けたくせに、魔王みたいに怒っていて、本当に降伏する気があるのかと思った」

というかそもそも、戦争に負けて呼びつけられているのに、この人謝罪文を持って来ていない。これには相手も苦笑い。のみならず、彼はさらにケンカを吹っかけにいく。

「勘違いするなよ。おたくら所詮2000とか3000くらいの兵力じゃん。ウチらはわずか防長2カ国しかないけどその気になれば20万30万の兵隊はすぐ動員出来る。本気で内陸戦をやったら負けるのはおたくらだかんね?」

「だから、ここへは降伏しに来たんじゃない。話し合いがしたいっつうから来てやってんの」

火にガソリンを注ぐとはこのことである。ふてぶてしいにもほどがある。

……でもまあなんとか交渉は始まり、まずは戦争のお決まり、賠償金の話になった。その額は三百万ドル。長州藩が50年かかっても到底払える額ではなかった。そこで、高杉晋作が逆ギレ気味に言う。

「ウチの藩は今財政めっちゃ苦しいけん払えない。ていうかそもそも外国人追っ払おうぜって言い出したの朝廷と幕府だし。だから幕府に請求すればいいんじゃね?」

嘘みたいだけど、これで相手は納得するんだ。でも、やっぱり長州藩になんか傷を負わせたい。そりゃそうだ。いきなり大砲ぶっ放してきたのは長州藩だ。

「普通ね、戦争で負けた国ってのは領土を一部くれるもんなの。だからさ、くれとまでは言わないから、せめて彦島(関門海峡に浮かぶ島)を無期限で貸してくれや?」

この提案に高杉晋作は怯む。彼はかつてアヘン戦争で負けて植民地になった上海の姿を見ている。つまり植民地になれってことだろ?それだけはダメだ。ダメに決まってるだろ!?悩んだ高杉晋作……。長く続いた沈黙の後、彼は静かに口を開く。

「そもそも日本国なるは天高原から始まる……」

は?何言ってんの?って現場にいた誰もが思ったはず。そりゃそうだ。彼が始めたのは古事記の講釈だった。直前まで留学していた伊藤博文の英語力でも通訳できるレベルを超えている。

上海の悲劇を見た彼は、これによって彦島租借の話をうやむやにしようとしたのではないかといわれている。彼の古事記暗唱は連合国が彦島租借の話を取り下げるまで続いたという。

長州藩の運命が決まる

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上記のようなゴタゴタの間、長州藩では「ってかもうさ、幕府に降伏しちゃおうぜ」っていう派閥が実権を握る。まあ、あんな終わってる状況なら当然だ。

この時点で藩内に「幕府に従おうぜ」派によって作られた軍隊が2000人はいたという。それまでの、過激=長州藩みたいな構図はもう崩れ去って、長州藩は幕府に降伏する方向に向かっていた。仮に「倒幕しようや!」っていう攘夷派がいても、めっちゃ敏感に粛清(処刑)されていた。

そこへ一人で立ち向かった男がいた。

狂人吉田松陰の愛弟子、超狂人高杉晋作である。

彼は直前の6回目の脱藩の処罰直後でほぼ丸裸の状態だった。自分が作った奇兵隊も、もう総督じゃないから手を離れている。そんな中、彼は功山寺というお寺でいきなり挙兵する。集まったのはたった80人。相手は2000人。このめちゃ無謀な戦いを始めるぜって時に彼がその有志80人に言い放った言葉がステキ。

「これよりは、長州男児の腕前御目にかけ申すべく!」

つまり、これは内乱とかそんなんじゃない、(今は敵みたいになってるけど)朝廷に御見せする為の戦いである、と宣言して戦を始めたのである。

そして、彼はその無謀すぎる戦に見事勝利し、長州藩をもう一度「やっぱし幕府倒そうぜ」という雰囲気に戻すのだ。その後の長州藩がどういう運命を辿ったかはご存じのとおりである。

結局、彼は明治維新をその目で見ることなく、「ああ、おもしろかったのう」という粋な言葉を遺して結核でこの世を去ってしまう。享年わずか27歳であった。