神に食ってかかった私と神との対話「苦しみの世界が顕現された理由」

たまたま目にした悲しいニュースをきっかけに、なんだか複合的に、連鎖的に一気にいろいろなことに疲れた私は、もう全て投げ出してしまいたい気持ちになり、午前1時から終日、幾度となく自分で考えた祈りの言葉を強く、強く繰り返していました。(祈りの文言は奇跡講座下巻を参考に自分で考えました)そして、翌朝の3時頃目覚めてすぐ、「もういい加減にしてくれ!」みたいな気持ちで神に怒りをぶつけました。

 

神よ。矛盾、葛藤、苦しみのこんな嘘っぽい世界ではなく、神の揺るぎない平安を私は強く望みます。見ている世界にはもう疲れました。もういいです。もう待てません。今すぐに現して下さい。

 

やっと純粋に自分自身の為にわたしに祈ったな。それも鬼気迫る勢いで、必死に、なりふり構わず、叶わないことを断じて許さない強い語気と真剣な眼差しで。

 

そうなんですか?……そうかもしれませんが、惑わされません。

どうして私の世界に、争い、怒り、裏切り、嫉妬、不信があり続けるのですか?

どうして今まさに世界では戦争が起きようとし、のみならず私の視界でも些細な争いが絶えないのですか?

どうして視界の人々は互いに苦しめ合っているのですか?施す人は苦悶の表情で施し、施しを求める人は施しがこない足りないと怒る。

どうしてやっと灯った暖かな火に、笑いながら水をぶっかけられるようなことが起こるのですか?

何ですかこの世界は!!これが私の心象を表している世界だというなら、私はめちゃくちゃじゃないですか!!!私がこれら事象の責任者だとするなら、ただちに責任を取りたいです。私のために人々が苦しむのはもう嫌ですし、苦しむ可能性も未来永劫消し去りたい。もう疲れました。

 

やっと、正直になったね。

よろしい。ならば今神の祭壇にわたしの平安を置こう。

 

(どういうわけか、一瞬で心が晴れ、包まれているような安心感と清々しさに満たされる。ついさっきまで見ていた世界が夢のように感じる)

 

あなたも好きなだけ取りなさい。そしてあなたが満たされたのなら、あなたの見ている苦しんでいる人々にもそれを与えてやりなさい。全宇宙を満たしてもあまりあるほどにそれはある。どんどん配りなさい。

 

神さまありがとうございます。なんだか楽になりました。けど……

 

わかっている、それはそれとして、あなたの疑問にきちんと答えよう。

 

ちょっと、ちょっと待ってください。一回休憩してきます。

 

(コーヒーを淹れながら奇跡講座下巻を読もうと思っていたが机に忘れていく)

 

さて、「またかよ」とあなたは思うかもしれないが、わたしは今までもこれからもこう言う。

あなたが問うとき、あなたは既に答えを手の届く範囲で自分で生み出している。それは疑問と同時に創造されている。

神とはそういう“性質”のものなのだ。だからあなたも「頼む前に応える」。あなたがそれが見えていないとき、わたしはただその場所を指し示し、思い出させるだけである。

 

わかりました。

 

いや、そう焦らなくていい。あなたはまだ、自分に足りないものを神から補ってもらうと考えている。そうではない。真実はそうではないのだ。あなたに不足はない。なぜならわたしが全てを与えているからだ。あなたは「神との対話」や「奇跡のコース」でそれを知ったが、まだそこに信念を持つには至っていなかった。

 

……たしかに。仰るとおりです。今日まで気づきませんでした。

 

天国に祈りや赦しはない。なぜならその必要がないからである。さて、我が子よ。今朝、あなたが祈りながら歩いているときに離れないイメージがあっただろう。

 

はい。釈迦が悟る直前の情景です。(註釈:私は中学生の頃に本で読んでからずっとこのシーンが好きだった)彼が悟るときに、最後にマーラ(≒自我)からの凄まじい抵抗の幻想がありました。それは心を砕き、命の危険を感じさせ、また彼が今まさに手放そうとしている欲情を再度掻き立てようとするもので、それはそれはリアルで、現実としか思えない臨場感を持って次から次へと襲いかかってきたそうです。

 

しかし彼は襲いかかるそれら全てを微笑しながら花に変えてしまった。

 

そうです。

 

今のあなたの状況に似ていると思わないか?

 

あ……。

え、ということは私はまもなく悟るのですか?おこがましいですが、もう悟ったと思っていました……。

 

「ここからが悟りでここまでは悟りではない」という境界線はないのだよ。目覚めの度合い、意識のクリアさのレベルがあるだけだ。少し見えている人がもっと見えるようになっていく段階があるだけだ。多くの場合感動として知覚されるその“瞬間”を悟りだと思ってロックしてしまうと、それ以上は見えなくなる。

今まさに、あなたの眼がもう少し開いてもっと見えるようになろうとしている。これは喜ばしい瞬間である。

 

うーん。

 

「また綺麗な終わり方にしようとしている」か。

綺麗な終わり方ではだめなのか?綺麗な終わり方でないなら他にどんな終わり方があるというのか?

あらゆる美しいものの創造主、愛の光の源であるわたしにかかれば、綺麗な終わり方になるのは決まっている。そういう性質のものに疑問を投げ込めば、それは綺麗に浄化される。(ほんとうは浄化とも違うのだがここでは浄化としよう)あなたはまだ、綺麗な終わり方が自分には相応しくないと思っている。天界と地上を分ける考えに信念を置いている。あの祈りには「矛盾、葛藤、苦しみに見えるものはすべて聖霊におまかせし、神の愛の意思に私の全てを委ねます」という文言がくっついていたはずだが、(註釈:その部分は繰り返し唱えるうちに削ぎ落とされた)あなたがそれに抵抗するのは矛盾しているではないか。

 

そのとおりです……。

 

このように、矛盾はリアリティを持って顕現される前にあなたの中にあった。あなたがあなたの中で矛盾していた。するとあなたの視界に矛盾が顕現された。

葛藤はリアリティを持って顕現される前にあなたの中にあった。あなたがあなたの中で葛藤していた。するとあなたの視界に葛藤が顕現された。

争いはリアリティを持って顕現される前にあなたの中にあった。あなたがあなたの中で争っていた。するとあなたの視界に争いが顕現された。

怒りはリアリティを持って顕現される前にあなたの中にあった。あなたがあなたの中で何かに怒っていて、それを手放さなかった。するとあなたの視界に怒りが顕現された。

嫉妬はリアリティを持って顕現される前にあなたの中にあった。あなたがあなたの中で何かに嫉妬を感じ、それを手放さなかった。するとあなたの視界に嫉妬が顕現された。

裏切りはリアリティを持って顕現される前にあなたの中にあった。あなたがあなたの中で何かに裏切られたと感じ、それを手放さなかった。するとあなたの視界に裏切りが顕現された。

源に矛盾、葛藤、争い、怒り、嫉妬、裏切りの想念が投げ込まれた結果、世界が苦しみと苦しみの可能性で満ちた。それらに信念を置いてしまったあなたが作り出したのは、まさに神も仏もないような信じられない世界だった。

 

私は「やってしまった」のですね……。

 

まあ描写としてはユーモアで的確だな。そう、あなたは「創造して」しまった。

 

でも神さま、私はここ最近ずっと喜びに満ちていましたよ?自分で言うのもなんですが、わりと一日の大半を世界中の人々の幸せを願って、それが叶う光景にけっこう強めに感謝を感じていましたよ?いくつか奇跡としか思えない光景も見せてもらいましたし……。なぜそれが顕現されずに、真逆のようなものが世界に溢れてしまったのでしょうか。

 

(光と闇が争うイメージ※物理的に光と闇がぶつかったら必ず闇が消えるのでありえないのだけれど……)

 

そう、今あなたが感じたとおりだ。あなたはたしかに幸せを感じていたが、同時にそれらと真逆なものもまだたくさん住まわせたままにしていた。本当は逆なのだが、あなたの中に於いては前者は新参者で、長くいた後者のほうがまだまだあなたの勝手を知っていた。そして争いが起こり、後者があなたの信念を勝ち取った。

しかし、考えてもみなさい。あなたの中に生まれた新参者は、古参にして強い力を持った煩悩の大群とあなたの信念を争えるまでになっているのだ。ただの気分的なものでぼんやり考えただけの喜びや幸せではこのような争いは起こらない。それは象と蟻が戦うようなもので、勝負にすらならない。

生命であるあなたの中に生じるものは生命を持つ。想念にとっての生命とはあなたの信念であり、今までそれを我が物としていた煩悩たちは、それが看過できないレベルで奪われそうになると、当然強い力で抵抗してくる。これが釈迦やイエスも体験した、幻想による身の竦むような強力な最後の抵抗である。

 

(なぜか涙が出そうになる)

 

幻想は見つめれば消える。目を背けるのではない。辛くてそれどころではないのなら、目を背けるのもかまわないが、消し去りたいのなら見つめなさい。他の考えで強引に上書きするのでもない。見つめるのだ。見つめるためには向き合わねばならない。大丈夫、あなたは安全だ。何の危険もない。わたしが保証する。あなたはわたしの平安を受け取り、養分を取り戻した。さあ、準備ができたらあなたも花を咲かせにいきなさい。焦らなくていいから、一つずつ、花に変えなさい。

 

神さま、私はあなたを信じきれていませんでした。もしかするとこれからもまだ信じているときと信じていないときを行き来するかもしれません。でも、信じます。どうか見ていて下さい。また頼ってしまうかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします。

 

善きかな!わたしのあなたへの思いは、今聴いている歌(註釈:対話中ずっと「歌うたいのバラッド」を聴いていた)のとおりである。愛する我が子よ、いつでも頼りなさい。

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