煙草の吸い殻の教え「過去の性質」「全宇宙最高の禅僧」

朝方、煙草の葉をパイプに詰める作業をしていたとき、声が優しく語りかけてくれました。ブッダのファンである私に、まるで禅のお坊さんのようなたとえ話で過去について説いてくれました。(気が利くなあ……さぞかしモテるんだろうなあ笑)

 

私は喫煙者なのですが、今日職場で煙草を切らしている人に私の最後の一本をあげてから、帰りに買うのを忘れたまま帰宅しました。両切の煙草を吸っている私は、短くなって吸えなくなった吸い殻を缶に取っておいて、後でパイプで吸うのですが、葉を詰める工程が面倒で吸い殻が缶いっぱいに溜まっていました。そんなわけで、今朝の寝起きはパイプに葉を詰める作業からでした。

 

あなたが、いろんな感情で吸ってきた煙草たちだね。

 

あ、ほんとだ。そうですね。今までだったら「不吉!」とか言って捨てているでしょうね(笑)でも今は、悩みながら、嘆きながら、時に神聖な気持ちに包まれながら吸っていたこれらをとても愛おしく感じます。

 

どれがどれだったか、見分けはつくかな?

 

ものすごく短いところまで吸っているのは、もやもやしていた時のでしょうか。長いのはそうでもない時?……いや、逆かな?もうわかりませんね。

 

そうだね。それはもう見分けがつかない。快と不快、総体としてどちらのほうが多かったのか少なかったのかもわからない。崩して葉をパイプに詰めてしまえば、もっとわからない。それは、ただの、煙草だ。

過去というのはそういうものだ。あなたが今「愛おしい」という意味を与えたように、それは今になってみないとわからないのだ。当然、このような気持ちで吸い殻を見ることになるなどと、これらのうちのどれを吸っているときもまったく予測も期待もできなかったはずだ。しかし素晴らしい結末は訪れた。吸い殻たちから見れば、救済が訪れた。彼らは愛され、感謝されたからである。

 

神さまって、やっぱり禅の高僧みたいな教え方もできちゃうんですね。

 

当然だ。全宇宙最高の禅僧に野暮というものだよ(笑)

 

そうでした(笑)

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