天国の記憶

あなたも必ず経験することになる天国についてお話しします。

 

20代の半ばに、心肺停止後に臨終判定をされている段階から復活したことがあります。

 

この世界の時系列でいうなら、心肺停止の少し前。私は天国を見てきました。

天国は歓喜と祝福と生命が無限に満ちあふれた光の世界でした。

 

この世界の価値観でいうなら、私はとても天国になんて行けるはずのない、どう考えても地獄に落とされるような生き方をしてきました。

 

私はどこの宗教にも属していませんし、これからも属しません。

ただ、物心ついた頃から仏像やお経が好きでした。なので歴史上一番好きな人物はゴータマ・シッダールタです。数年前からイエスも好きです。

 

ここでは天国と呼びますが極楽でもいいです。どちらでもいいのです。

 

言葉でばっちりと表現することが難しいのですが、なんとか頑張って言葉にしてみます。

尚、この記事は適宜加筆修正します。天国の記憶はひとつですが、もっと良い表現や的確な言葉を見つけた場合に修正したいと考えています。

天国の記憶

気がつけば私は光の中にいました。

もう全部光。

全部、全部光なのです。

それは強すぎてキーンという音まで聞こえてきそうな光でした。

もしもこの世界であのような光に包まれたら、眩しくて目も開けられないと思います。

 

しかし、その光はとても優しく、ただそこにいるだけで喜びに満ち溢れ、どこまでも深く癒され、また完璧に赦される心地良いものでした。

何が嬉しいのか、何を癒やされているのか、そしていったい何を赦されたのかわからなくなるほどに。

 

いや、絶対的、圧倒的な喜びの中では

「癒やされるべきもの(例えば傷)も、赦されるべきもの(例えば罪)も“元々なかった”」

という感覚です。

 

天国ではこの疑念の昇華からの認識の変化のようなものが瞬時に起こります。

沸いた疑念が黒いシミのようなものだとするなら、それが天国の圧倒的な光で瞬時に浄化され、そこにシミがあった痕跡(手応え)さえ消え去るような感じです。

その結果、

「あれ、何のことだったっけ?」

「いや、そんなものもともとなかった」

という確信に極めて自然に落ち着きます。

 

ただ、喜び。

もう少し具体的にすると、無条件に受け入れられ、理解され、認められ、祝福され、感謝されているような感じです。

それらが同時に無限の強さで起こるのです。きっとあれは肉体では体感しきれない(処理できない)と思います。

 

それしかない。

いや、もともとそれしかなかった。

 

どこまでも自由。

絶対的に自由。

不自由というものがどういうものだったかわからなくなるほど。

 

底抜けの歓喜。絶対的な祝福。果てしなく濃厚な無限の愛。

あの心地良さはこの世界の何物にも例えようがありません。

 

そしてそれらはこれまで感じたことのないくらいの圧倒的且つ絶対的な臨場感でした。それに比べるとこれまで生きてきた世界はまさに夢です。

朝夢から覚めたとき、現実世界の圧倒的な臨場感で「あ、今のは夢だったんだ」とはっきりと悟るのと同じです。たとえそれがどんなにリアリティのある夢であっても。

 

「実家」よりも圧倒的な「ただいま」感。

「生前」よりも圧倒的な「生きている」感。

そして揺るぎない「ずっとここにいた」感覚。

 

あれ、「今まで」の世界って何だっけ?

ずっとここにいたよね?

 

また、その光にはすべてが在りました。

「誰」もいないのですが、生命すべてが在るように感じるのです。

過去も未来もなく、すべての生命が今、何も隠されることなく存在しているような。

「すべて」という言葉にも若干のズレを感じるくらい、それはもろに「生命」でした。

この世界でも、元気な植物や、動物や、人に触れた時になんとなく生命力みたいなものを感じることがあると思いますが、あれの最大限の出力のもの、といえばいいでしょうか。

 

生命が満ち溢れた、愛と祝福の光の中に、まだぼんやりと「私」がある感じ。

いや、「ある」とかろうじて勘違いできているような状態。それも意識していないと保てません。

でもそんなことはどうでもよかったです。「私」などという区別はあの光の中では意味をなしませんし、なくても困りません。というかそもそもが無いのです。

 

「あれ、待って。『私』ってなんだっけ?何のことだっけ?」

「私」を呼び出すと、どうやってもその光のことなのです。

今「私」がいるこの光が私である。

言葉で説明すると意味がわかりませんね。

 

最高に心地良い光に溶けていると、いつしか私はその光の光源(としか言いようのない強い光)の前にいました。

天国の光のすべてはその光源から放たれていたのです。

光の中の光。

それはもはや光りすぎていて白く見えるほどの光でした。それに比べると先に感じた光がクリーム色に思えるほどの圧倒的な光。

「『神聖』とか『神々しい』ってこういうことなんだ!」と直感するなんかすごい光。当然のことながら、私もその光の一部でした。

 

私はその光に向かって、まるでお母さんを見つけた無邪気な子どものように、走るような感覚で向かって行きました。

近づけば近づくほど、喜びはどんどん強くなっていきます。

 

ところが、あと少しでその光の間合い(?)に入りそうなところで、私は立ち止まりました。

「もういいの?」

言葉ではなく、なんだかそう問われているように感じたのです。それはまるで、優しいお母さんが、絶対に安全とわかっている自宅の庭で時間も忘れて思いっきり遊んでいた我が子が戻って来て、

「もういいの?」

「お家帰る?」

と聞くような、そんな優しさに満ちた問いでした。

近づけば近づくほど心地良さで爆発しそうになる光ですから、「本体と溶け合ったらどんなに気持ち良いんだろう!」とか思っていました。私の中ではもう今すぐにでも飛び込んでしまいたい気持ちだったのですが、いざ「もういいの?」と訊かれると、考えてしまいました。

 

ちょっと天然で底抜けに優しい母。

ぶっきらぼうでどこか厭世的な父。

結婚したいくらいに好きな恋人。

 

……あれ、私何考えているんだろう。

それ全部あるじゃん此処に。

この光の中に。

 

何を訊かれているんだろう?

 

いや、いっか笑

ああ、もういいから早くあの光に触れたい!

 

「わーい!!」

みたいに私は飛び込みました(笑)

光にすべてを任せたのです。

 

……が!

次の瞬間、私は再び立ち止まりました。

 

そういえば、行きつけの本屋さんで気になっている哲学の本があったのでした。

まだ立ち読みもしていません。

なんだかその本のことだけはすごく気になりました。

 

また、光の中に「私」という区別ができました。これまでよりもはっきりと。私は光源を前にしながら、光の中に私の影が現れたのを光から見ていました。

 

私は再び「対象」となった光源に向かって

「立ち読みして来るんで1時間だけ下さい」

「必ず、必ず戻って来ますから!」

と言い、光源に背を向けました。

 

光源はなんだか穏やかに笑っているように感じました。背中を押すわけでも、引き留めるわけでもなく。

再び夢の世界へ

次に見たのはドラマなどでよくある光景。

ピー!という一本の心電図の音の中、私と思われる体が何度も電気ショックをかけられていました。

 

「あれ、待って、なにこれ?」

私は件の本棚の前にいるはずでした。時間の概念もなく、すなわちそれに支えられた「距離」という概念もない天国の感覚では、当然そうなるはずでした。

セコイですが私は本棚の前に直行して「本を立ち読みで読み切る時間」として1時間もらったのですから。そこに移動時間は含まれていません。

 

私の体は電気ショックをかけられるたびに「ボンっ」と跳ねています。4回くらいかけられた後、眼鏡のお医者さんが首を横に振って、看護師さんに装置を片付けさせました。

徐に腕時計を見るお医者さん。

ここで私の視点はその体からのものになりました。

何事も無かったかのように、心音が元に戻りました。

すごい驚かれて「奇跡」みたいなことを言われました。

 

「待って待って待って!これあの夢の世界じゃん!!」

やってしまった!!

さっきのは天国だ!私は天国をお断りしてしまった!!

看板も立っていませんでしたし、誰の証言もありませんでしたが、あれはどう考えても天国でした。

 

私は一生懸命天国へ帰ろうとしました。

まだ、天国の感触(?)が残っていたのです。光もまだ見えます。目が覚めてからもまだ微睡が残っていれば同じ夢の続きを追いかけられることがあるように、私は必死に天国へ戻ろうとしましたが、叶いませんでした。

誰もいなくなった病室で、悔しくて自分が寝ているベッドを拳で打ったのを覚えています。

 

以上が私が見てきた天国と戻って来た直後の話です。

三途の川があってそこに架けられた橋を渡ろうとすると生前にお世話になった人たちが「行くな行くな」と止めてくれる。

シッダールタやイエスのような聖人が手を引いてくれて、空を飛びながら世界を案内してくれる。

……といったようなドラマチックな展開はありませんでした。

 

また、閻魔様の審判も、地獄もありませんでした。

だってみなさん天国にいましたから。天国以外の世界なんて実在しないのです。

 

こんなにバッチリと天国を見せてもらっておきながら、私はそれを「インパクトのあるおもしろ体験」程度に片付けてしまい、再び天国を忘れて夢の住人に戻ってしまうのでした。

 

長くなりましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。

 

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