私は天国に帰りたいのですが、天国は永遠に居る場所であって「帰る」場所ではありません。実家の布団にいながら実家に帰ることができないのと同じ理屈です。
ならば、他でもないこの私が今ここで眠りから覚めて天国を見るしかありません。
死は幻想であることを経験してしまった以上、もうそれでは見ることができません。
私はまたきっとなんか理由をつけて二度寝をします(笑)
天国を見たいと思ったとき、必要なものはすべて揃っていた
不思議なことに、「天国を見たい!!」と思った時、必要なものはすべて完璧に揃っていました。
私はこの世界で語られる「神様」という概念についてよく知りませんが、神は頼まれる前に応えてくれているそうです。
たしかに、天国のあの光がもし神だとするなら、当然のように頼まれる前に応えてくれるでしょうし、それどころか自分の全部を与えてくれるだろうなって。
この夢の世界に天国を顕わす方法
それは私(あなた)が完璧に天国を思い出すことです。
私もあなたも「それまで」に必要な犠牲を払わなければならないということもないです。
犠牲はまさに幻想だからです。天国に犠牲は存在しないし、犠牲と天国は何の関係もありません。
ただ、私が見たいから。
使命とかそういうのとも違う気がします。
私はただ天国を見たい。あの時祝福してくれたすべての兄弟と共に。
そして次は、次こそは再び眠りに落ちることなく永久にそこにとどまりたい。あなたと共に。
私は「今」、あの天国の光をこの世界でも観ることができると思っています。
理由はわかりません。ただ、そんな手ごたえがあるのです。
私が見たいのだから私が思い出す
私がやらなくて誰がやるのでしょう。
誰が私のためにこの顛倒夢想の世界に天国を顕現させてくれるのでしょうか。
天国を見た私が天国の話をしないでいったい「誰」が天国を忘れた夢の世界に天国の話をするのでしょう。
ずっと天国を見たかった
私は、死にたくなるような世界の淵、絶望感と希死念慮の闇の中で、歯を食いしばり、涙目で天を睨みつけるようにして
「この呪いは何だ?どう足掻いても解除出来ないしつこい呪いは」
「ええい、こうなったらもう一度天国を見てやる……!」
と思ったはずでした。
「神に天国をぶつけてやる」
みたいなことを思ったのですが、よく考えたらすごい変なことですね(笑)
しかし、天国を見ようとして気づいたことは、私はこの夢を見始めたときからずっとずっと天国を見たかったのだということです。
この世界の中で数えきれないほどの願望を懐いてきましたが、どれもみな「天国を見たい」という願望が改変されたものだったことが手応えでわかりました。
でも、これで私はもう素直にはっきりと言えます。
天国を見たい。
以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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